先日書いた、「境域を超える」を書き直そう
いつも以上にドボンな独り言な内容になりそう…(笑)
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「自分」と「他者(世界)」の境界が曖昧になるのは
いいことだ
そもそも、それが大守護霊さんの働きと、意識的でいられるならば
そのまま行けるならば、世界は良きものとなる
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ただ、やっぱり物質と精神界の境域は存在する
私はあまりにも、行き来が楽になってきて、意識的になってきて
小守護霊さんの存在が当たり前になってきたから
境域が「存在しない」ように感じてしまう
「ない」と「ある」は激しく違う
境域は存在しないのではなくて
いつも私と共にある
そこに意識的でいて
境域の小守護霊と共に、精神界に入っていくしかない
それしか安全な道はない
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思い返せば、10代の終わりごろにトランスパーソナルに出会って
精神界の存在をおぼろげに知った
そして、そこに入って、帰ってくるには
確固たる「アイデンティティ・自己一致・自我の確立」が必要なのだ
というのが心理学的な解釈だった
私はその、行って帰ってくるための「アイデンティティ」という話が
非常に印象的で、「アイデンティティ(自我)の確立」に必死だった20代
『行きて帰りし物語』・・・
↑こっちは神話的解釈 これも私には魅力的だった
↑でもこの、心理学的・神話的解釈は、ある意味で間違っている
行って帰ってくるときに必要なのは心理学的「アイデンティティ(自我)」ではない
小守護霊さんの存在に意識的であるか?
小守護霊さんに自分を明け渡せているか?
小守護霊さんと共にならば、安全に行って帰って来られる
『ミカエルと共に』
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(「自我」ということにも、今の私はドボン…
スピリチュアルな「自我」には深い深い歴史と神的な関与がある…!!
それで「私」が存在しているという、光のさす体験…!!)
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更に思い返すと、私は子どもの頃から、精神界が楽園だった(笑)
学校がつまらなくて、勉強がつまらなくて
暇があるなら、そっちの世界に入ってしまっていた子ども時代
なぜそれが安全に行き来出来ていたか?
小学2年生の時と、小学6年生の時に
子どもなりに、意識的に大守護霊さんと出会っていたからではないでしょうか?
それは子ども時代の私にも衝撃的な思いとして残っているんだけれど
書くと止まらないから、とりあえず書かない(笑)
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私にはいつも大守護霊さんの存在の方がインパクトがあって
先に感じられてしまう
でも大守護霊さんに会っていれば、当然小守護霊さんにも出会っている
だから、守られながら入れていたのかな…?
「頑固だ」と言われていた子ども時代(笑)
小守護霊さん(と大守護霊さん)の声を聴き続けていたから、頑固だったのかもね
ただ、それを自分は守護霊さん達と思わず、自分だと誤解していただけ
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メンターさんの2月の
私の今生で、ある意味、最大に危機的だった2月の
(2月を共にしていた方にはそう見えなかったでしょうけれど、すごい危機でした・笑)
「境域の守護霊ってホントにいるんだよ・・・!」
という声が、ずっと、ずっと私の内にこだまし続けている
そうなんだ、居るの、わかってる
当たり前のものとしないで、ちゃんと意識的でいる!
それが私に必要なこと!!
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2月は危機・・・というか最大のターニングポイントだったんだね
私にとって
精神界に意識的に入っていく、ターニングポイントだった
内的な進化(深化)は、見ようとする人には、外的にも変化が感じられる
見ようとしなければ、全然見えない(笑)
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おかげさまで今
精神界の大海原を航海しながら
地図とコンパスを持てている
そのことに、本当に感謝
ただひたすら、存在の根本から感謝の想いです
Journey to Home ...!!