ちょっと前に、「空間」の話になった時

 

「私の身体も空間だと思う」

と言ってしまった瞬間

「あ、マズいことを言ってしまったかもしれない」

と思いました(笑)

 

 

マズいってことはないんだけれど

あんまり自分の身体を空間的に感じている人は多くない

ということは知っている(笑)

 

たぶん、自分が、自分の体を所有していると思っていたら

空間だとは思えない

 

私は1つの仮の現象というような感じに感じるのです

身体も含めて

「私」という、存在が

(↑決して、虚無的な希薄な意味ではないです 生き生きした現象…?)

 

 

 

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 

 

↑これは、私が好きな、宮澤賢治さんの『春と修羅』

という詩の一節

 

私はこれが、小学生の時から好きだった(笑)

 

 

私が「現象」と感じる大きな一因に

この賢治さんの詩があるのかもしれないけれど…

それだけでもない

 

賢治さんの詩から、私が体験するもの

普段の生活から、私が体験するもの

それがまさしく、賢治さんの言葉に、美しく現れているという感じ…

 

 

この賢治さんの詩は、読めば読むほど、深くてヤバイ(笑)

 

「せはしくせはしく明滅しながら」

が好きでした

 

子どもの頃から忘れられないイメージとして

私の内に強く強く刻み込まれていた…

というか元々そのイメージがあったのかもしれない

だってそれが真実だから

 

大宇宙と小宇宙が明滅している、せわしく

その中にしか「私」という存在はない

 

 

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

もすごいよね

アストラル・ワールドか?!(笑)

 

 

賢治さんは、意識的な人だったのかな?

無意識的だったのか…?

やや意識的だったんじゃないかな

とにかく、大好きな人の一人です

 

あなたは、あなたという存在を、どう感じますか?

仮の現象? 1回限りの生?

賢治さんのこの詩にはカルマ論も入ってるなぁ(笑)

 

 

見えている世界は、そのまま真実を表していないかもしれない…

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