ちょっと前に、「空間」の話になった時
「私の身体も空間だと思う」
と言ってしまった瞬間
「あ、マズいことを言ってしまったかもしれない」
と思いました(笑)
*
マズいってことはないんだけれど
あんまり自分の身体を空間的に感じている人は多くない
ということは知っている(笑)
たぶん、自分が、自分の体を所有していると思っていたら
空間だとは思えない
私は1つの仮の現象というような感じに感じるのです
身体も含めて
「私」という、存在が
(↑決して、虚無的な希薄な意味ではないです 生き生きした現象…?)
*
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
↑これは、私が好きな、宮澤賢治さんの『春と修羅』
という詩の一節
私はこれが、小学生の時から好きだった(笑)
*
私が「現象」と感じる大きな一因に
この賢治さんの詩があるのかもしれないけれど…
それだけでもない
賢治さんの詩から、私が体験するもの
普段の生活から、私が体験するもの
それがまさしく、賢治さんの言葉に、美しく現れているという感じ…
*
この賢治さんの詩は、読めば読むほど、深くてヤバイ(笑)
「せはしくせはしく明滅しながら」
が好きでした
子どもの頃から忘れられないイメージとして
私の内に強く強く刻み込まれていた…
というか元々そのイメージがあったのかもしれない
だってそれが真実だから
大宇宙と小宇宙が明滅している、せわしく
その中にしか「私」という存在はない
*
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
もすごいよね
アストラル・ワールドか?!(笑)
*
賢治さんは、意識的な人だったのかな?
無意識的だったのか…?
やや意識的だったんじゃないかな
とにかく、大好きな人の一人です
あなたは、あなたという存在を、どう感じますか?
仮の現象? 1回限りの生?
賢治さんのこの詩にはカルマ論も入ってるなぁ(笑)
見えている世界は、そのまま真実を表していないかもしれない…
スピリチュアル ライフ ナビゲーション Spiritual life navigation !!