1953年から1961年の期間に国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドの手記「道しるべ」を読んだ。
その中に”根性のなさ”という項目がある。以下に引用する。
『≪根性のなさ≫―。われわれはあまりに安易に以下の両者を混同する。そのひとつは、みずからの所信を責任をもって擁護せねばならなくなることへの怖れであり、われわれ自身の確信以上に他人の意見に左右されがちな傾向であり、端的に言うならば確信の欠如である。あとのひとつは、成熟し、また、強健な人間が、他人の論拠を十分に尊重する必要があると感ずることである。まるで隠れんぼのようではないか。悪魔は、われわれの根性のなさを利用しようとするとき、それを視野の広さという名で呼ぶ。彼は、われわれに視野の広さを持たせまいとするとき、それを根性のなさと呼ぶ。』
自分の考えを押し通すか、それとも人の考えを受け入れるか、または、そのあいだをとるか・・・
そこには感情が入り込んでくる、それが”悪魔”というものだろうか・・・
ある構造物についての技術的判断を関係者と議論している、そこにはその構造物の関係するどのような目的をどの程度の目標で達成するするのかという、共通した認識がなければ話が進まない。さらに契約条件もある。だれがカネをだして、だれが施工するのか。
ただ、目的と目標は第一に考えて話を進めるのが基本だと考える。
それを基本にすることを忘れないようにすれば、”悪魔”の思いから離れることができるのではないか。
ハマーショルドさんの手記には以下もある。
『現在の中ですべてを為せ。現在のためにはなにごとも為すな。また、将来におけるおまえの名前やおまえの安息という意味でも、将来のためにはなにごとも為すな』
自然に”心から”というか”内から”わきあがってくる気持ちにしたがって、今自分ができることをたんたんと実行する、ということだと理解した。
まさに中今(今この瞬間こそ生きることのすべて;古神道の言葉)ということだろう。 拝
その中に”根性のなさ”という項目がある。以下に引用する。
『≪根性のなさ≫―。われわれはあまりに安易に以下の両者を混同する。そのひとつは、みずからの所信を責任をもって擁護せねばならなくなることへの怖れであり、われわれ自身の確信以上に他人の意見に左右されがちな傾向であり、端的に言うならば確信の欠如である。あとのひとつは、成熟し、また、強健な人間が、他人の論拠を十分に尊重する必要があると感ずることである。まるで隠れんぼのようではないか。悪魔は、われわれの根性のなさを利用しようとするとき、それを視野の広さという名で呼ぶ。彼は、われわれに視野の広さを持たせまいとするとき、それを根性のなさと呼ぶ。』
自分の考えを押し通すか、それとも人の考えを受け入れるか、または、そのあいだをとるか・・・
そこには感情が入り込んでくる、それが”悪魔”というものだろうか・・・
ある構造物についての技術的判断を関係者と議論している、そこにはその構造物の関係するどのような目的をどの程度の目標で達成するするのかという、共通した認識がなければ話が進まない。さらに契約条件もある。だれがカネをだして、だれが施工するのか。
ただ、目的と目標は第一に考えて話を進めるのが基本だと考える。
それを基本にすることを忘れないようにすれば、”悪魔”の思いから離れることができるのではないか。
ハマーショルドさんの手記には以下もある。
『現在の中ですべてを為せ。現在のためにはなにごとも為すな。また、将来におけるおまえの名前やおまえの安息という意味でも、将来のためにはなにごとも為すな』
自然に”心から”というか”内から”わきあがってくる気持ちにしたがって、今自分ができることをたんたんと実行する、ということだと理解した。
まさに中今(今この瞬間こそ生きることのすべて;古神道の言葉)ということだろう。 拝