NHKドラマ「逃げる女」の第1回をみた。冤罪で8年後に釈放された主人公(水野美紀さん)の逮捕時に取り調べた刑事(遠藤憲一さん)の最初の三つのセリフが以下です。
①「私の中にオリのようなものが積み重なっていた。」(多少まちがっているかもしれません。)
・・・オリってなんや?(これはおれの感想です。以下同じ。)
②「オレにできることなら何でもする。」このあと主人公に「じゃー、ここから(海に)とびこんで!」と言われて、固まる刑事。
・・・覚悟をみせてとびこめや!
③「オレにできることはこれぐらいしかない。」(補償の申請の書類を主人公に渡そうする。)
・・・おいおい、さっきいうたこと、もう撤回か?!
 最初のセリフの”オリのようなものが・・・”って、文章とかでも時々みることがある言葉だと思います。ですが、ふだんの生活で“オリ(澱)がたまる”なんて言葉をつかう人がどんだけおるんかと思います。澱(オリ)って、“液体中にしずんだ、かす”のことだそうです(新明解辞典)。
 鶴見俊輔さんの「文章心得帖」(ちくま学芸文庫)の中に理想の文章の三つの条件が書いてあります。『第一は誠実さ 紋切り型の言葉に乗ってスイスイ物を言わないこと。つまり、他人の声をもってしゃべるじゃなくて、自分の肉声で普通にしゃべるように文章を書くことです。人のつくったある程度の気の利いた言いまわしを避けることですね。普通の光らない言葉、みんなの共通語を主に使って、これというところについては、その普通の言葉を自分流に新しく使うこと。それが自分の状況にかなう言葉なんですね。・・・
 第二は明晰さ 明晰さというのは、はっきりしているということ。そこで使われている言葉を、それはどういう意味か、と問われたら、すぐに説明できるということです。言葉によって説明できなければ身振りで説明できる。つまり「歩く」というのはどういうことかといえば、歩いてみせることができる。それが、説明になり定義になっている。行動とか経験による定義になる。もう少し複雑な言葉だったら、言葉で定義していく。自分で定義できない言葉を使うのはぐあいが悪い。・・・
 第三はわかりやすさ 特定の読者にたいしてわかりやすい〈読者にたいして〉というときの読者は、自分であってもいい。自分にとってわかりやすいということでもいい。読者としての自分というのは重要であって、文章はまず自分にとって大事なんです。自分の内部の発想にはずみをつけていくものが、いい文章なんです。文章を書いているうちにどんどんはずみがついてきて、物事が自分にとってはっきり見えてくる。そういう場合に、少なくとも自分にとっては、いい文章を書いていることになる。・・・』
 刑事のセリフ①「わたしのなかにオリのようなものが積み重なっていた。」って、鶴見さんの“文章の理想”の条件の第一の中に書いてある“紋切り型の言葉”のような気がします。この手の言葉をつかうと本人のなまの気持ちがつたわりにくくなると感じます。刑事が後悔している気持ちがテレビをみている者につたわりにくいのではないでしょうか。(このシナリオを書いた方はそのあたりも考慮にいれておられるのかもしれませんが)。
ドラマは新たな殺人事件がおこって、この刑事もかかわっていきます。この過程で刑事の気持ちとか考え方の変化がどうなっていくのか気になります。
 それと、もうひとつ、殺人事件の捜査会議で捜査一課長が「(冤罪事件の汚名をふっしょくするために)われわれがいま最もだいじにしなければならないのは正義だ。」と言って、やたら”正義”を強調していたのも気になりました。
 この捜査一課長の正義をきょうちょうする言葉のつかいかたは鶴見俊輔さんのいう「言葉のお守り的使用法」になると考えます。
 『言葉のお守り的使用法とは、言葉のニセ主張的使用法の一種類であり、意味がよくわからずに言葉をつかう習慣の一種類である。言葉のお守り的使用法とは、人がその住んでいる社会の権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場をまもるために、自分の上にかぶせたり、自分のする仕事の上にかぶせたりすることをいう。このような言葉のつかいかたがさかんにおこなわれているということは、ある種の社会条件の成立を条件としている。もし、大衆が言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつならば、だれか扇動する者があらわれて大衆の利益に反する行動の上になにかの正統的な価値を代表する言葉をかぶせるとしても、その言葉そのものにまどわされることはすくないであろう。言葉のお守り的使用法のさかんなことは、その社会における言葉のよみとり能力がひくいことと切りはなすことができない。
 お守り的にもちいられる言葉の例としては「国体」「日本的」「行動」などがある。言葉がお守り的にもちいられる場合の例としては、政府の声明、政党の名前と綱領、国民歌謡などがある。軍隊、学校、公共団体でのべられる訓示やあいさつの中には、かならずこれらの言葉が入っている。社会的背景がかわると、お守り的につかわれる言葉もかわるもので、米国においては「キリスト的」「精神的」「民主主義的」などが、しばしばお守り的にもちいられている。・・・』(「ことばと創造 鶴見俊輔コレクション4」(河出文庫、2013)p132の「言葉のオお守り的使用について」の中から抜粋、初出は「思想の科学」1964年5月『鶴見俊輔集』第3巻)。
 ドラマの中で”正義”の意味を具体的にどうしめしてくれるのかたのしみです。
 ふだんの生活のなかでも言葉のお守り的使用にきをつけていくことがだいじですね。。ひとがつかっているときも、じぶんがつかうときも、具体的になにを意味しているのかを注意しようと考えています。拝