モノポリーでは、自分の駒が停まった土地が他の参加者のものでなければ、購入することができるのであるが、その際にはみんな”カウカウ”と言って買収していた。買わないときは”セリセリ”と言って競売(けいばい=競り)に突入する。この競りのやり取りでも大人感を体験する。それから、まとまった土地買収が進まず、一方で他の相手が家を建て、賃貸料を請求され大きな借金を抱えることになった場合には人生ゲームにおける借金よりも微妙に身近に借金の苦しさみたいなものを感じた。

 けっこう頻繁にモノポリーをやっていたので、買ってから1年もたたないうちにもともとの箱は使い物にならなくなった。それで、ボードや家・カードなど1式をビニールで編んである横50cm縦1mくらいの袋に入れて持ち運んでいた。とにかくモノポリーは子供時代に最も熱中したボードゲームだった。


 その他、近所の同級生がもっていた人生ゲームはもちろんのこと、大富豪ゲーム(名前はたぶん、ちがっているが、石油産出国など世界ををまわってカネをかぜぐ。)といったものもやった。考えてみれば、これら全て経済成長の時代を象徴するゲームといえる。一方で、木枯らし紋次郎ゲーム(当時”コガモン”と省略)といった変り種もあった。結局このゲームも最後は持ってる銭の大小で勝ち負けが決まったのだろうが、江戸時代の流れ者の生活を”体験”するということがウリだったのだろう。人生ゲームの職種の選択ができないタイプのものともいえる。

WEBで調べたら、”コガモン”がプレミアで5万円になっていた。おどろき!

http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m48286119

エキサイティング-コガモン


 所得とか労働生産性を高くすることをよしする考えを根っこにもつゲームは単純な競争という意味では盛り上がるからゲームとしていいのかもしれない。しかし、今考えると何か刹那(せつな)的なものを感じてしまう。理屈っぽくなるが、将来の世代も含めた持続可能性をどれだけ達成したかを競うワクワクできるゲームができればいいと思う。これは、先日紹介した宇根豊さんの「農は過去と未来をつなぐ」(岩波ジュニア新書)を読んで考えたことだ。百姓のウデを競うゲームでどれだけ減農薬で作物がとれたかとか、近所の人と共同による効果(近所づきあいの緊密さを高めることによる、いわゆるコミュニティの持続への効果)、田んぼで赤トンボがどれだけ育ったかとか・・・”環境”の持続への効果を競うものがあるのなら一度やってみたい。・・・一応おわり。