昨日みたコンドルズのネタの中で指人形の劇があった。話の内容はおおよそこうだ。子どもたちに親切でやさしいジョセフおじいさんとおばあさん。子どもたち(男の子1人と女の子1人)は、おじいさんの家に行きたいというが、おじいさんたちは「やめたほうがいい。遠いし・・・」と歯切れの悪い答え。ある日の午後、どうしてもいつものお礼を言いたいと子どもたちは3時間かけて坂道を登って、おじいさんの家に着いた。あたりはすっかり暗くなっている。おじいさんの家を何度がノックするが声がない。仕方がないのでドアを開けて入ってみる。だれもいない。「おじいさ~ん、おじいさ~ん」と何度か叫ぶと、突然、雷が鳴り出し、いろんなホラー映画のキャラ(13日の金曜日のジェイソンとかエクソシスト…)がでてきて子どもたちを恐怖におとしいれる。「だから、来るなといっただろう!」人がかわったようなおじいさん。
「どうして?!」子どもたちが聞くと、「昼間、やさしくしているからバランスをとってるんだ!」というのがオチ。
そのほか、新婚旅行の飛行機の事故で密林(具体的な説明はなかったが、たぶんそうだろう)に落ちた夫婦とその兄弟、添乗員、パイロットが責任のなすりあいをするコントがあった。コンドルズは、人の外面と内面、日常と非日常による“性格の変化”をおかしくみせてくれた。
向田邦子さんのエッセイ「父の詫び状」の中でも、家で威張っている父が、会社では豹変してペコペコしたり愛想よくしていることを皮肉っている。
そういうと仕事の現場の地権者あるHT氏の“性格の変化”をみてみたいと思った。常識を超えたサービスを高圧的な態度で求めてくる。腹がってしょうがない。「どんな社会生活(職場での態度)を送っているのかみてみたい!」と若手のアサヤンに愚痴ったことがあった。HT氏は有名な企業に勤めているが、会社ではどのような“性格”であるのかを知りたい。意外と“バランス”をとって、いい人でとおっているのかもしれない。
昨年、退職したHS氏。部下はその口やかましさに閉口していたらしい。また、職場内の親睦会に入らないのも有名な話。餞別をしたこともあって、HS氏から退職の挨拶のはがきがきた。そのはがきには「ソラマメなどを栽培しています。常連のお客様に励まされて、早朝から元気に作業しています。」と書いてあった。在職時とは違った明るく愛想のよいおじさんといった印象だ。
「人は誰かの役に立っているときが最もいきいきしている。」と、最近何かで読んだ。また、人は何かのかたちで人から認められたいとする「承認欲求」があるそうだ(「人間だもん」だからでしょうね。)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82
)
こんなことをいろいろ考えていると物悲しくなってくる。
自分自身のことを考えてみると、資格を取ったり、こうやってブログを書いていることは、承認欲求や何かのかたちで人の役に立ちたいとの思いが表出(ひょうしゅつ)しているのだ。
翻って(ひるがえって)考えてみると、最初に書いたコンドルズのネタにでてくるジョセフおじさんは、バランスをとるために自宅で豹変しているわけであるが、おばあさんにひどく当るわけでもなく、おばあさんと二人してホラーキャラになっているだけなのである。これはこれで健全なバランスのとり方ではないかと、ここまで書いてきて感じている。
しかし、ホラーキャラになれない僕たち私たちはどうすればいいのか。考えてみた。
ひとりの人として外面(そとづら)・内面(うちづら)や会社での性格・自宅での性格(子どもなら、学校での性格・自宅での性格)、といった大きな区分でバランスをとるというのではなく、ひとつひとつの関わった小さな事について、できるかぎり公平に偏りなく行動していくことが大事だというのが現時点での自分の答えだ。そうしていくことで、その場、その場では多少エネルギーは必要かもしれないが、大きな区分でバランスをとって暮らしているよりも、毎日を楽しく、ワクワクしながら暮らしていくことにつながるのではないかと考える。
人のふりみて我がふりを振り返って、我がふりを改善(improvement)していくことを心に刻みたい。
おわり