こんにちは。しばたなおこです。
阪神淡路大震災から25年経ちましたね。
阪神淡路大震災で亡くなられた方々の、ご冥福を心からお祈り致します。
きょうは、
わたしが体験した震災のことについて少し書いています。
みなさんにお伝えしたいというよりも
わたしがこの記憶や気持ちを忘れないようにしたい
という想いがあって書いているところもあります。
お役立ち記事ではないですし、
震災について思い出したくないという方々は
読み飛ばしてくださいね^^
今日は
「神戸でも震災を経験した人がいまは半数くらいになっている」
という報道がたくさんされていました。
わたしは生まれも育ちも神戸。
あの大きな揺れを経験しました。
おそらく報道されている
「震災を経験した半数の人」に数えられている一人。
でも、わたしは震災を経験したと言っていいのかという
自問自答が毎年あります。
というのも、
わたしが経験したのは、
家は大きく揺れて、家具が倒れた。
「○○(姉の名前)が本棚の下敷きになっている!」という声が聞こえて怖くてたまらなかった。
姉は家具の下敷きになったがタンコブだけですんだ。
ガスが止まった。
水もとまった。
節水のために茶碗にラップをしてご飯を食べた。
遠くの銭湯にいったり、友達の家でお風呂に入らせてもらったりした。
電車がとまり、学校も休みになった。
余震が怖くて毎日枕元に靴と荷物を用意して眠った。
今でも小さな地震でも震災の記憶がよみがえってドキドキする。
などのようなこと。
家が倒壊したり、身内に不幸があったわけでもない。
生活が不便な期間があって、地震に対する恐怖心が残っただけ。
そんなわたしが、震災を経験したと言ってもいいのだろうか。
毎年震災の映像を見るたびに、
そんなふうに感じてしまいます。
「震災を経験した半数の人」のように
何かを表現するときに分かりやすくまとめることはよくありますが、
その中の一人一人の経験はそれぞれ違うし、
感情も一人一人異なりますよね。
表現の仕方がいい悪いという話では
決してありませんよ。
一言で伝わりやすい表現ですよね。
わたしも企画書や提案書を作るときに
数字で表したり、
分類したりすることがよくあります。
でも、
当事者になると違和感を感じる人もきっといるよな
と今日改めて感じました。
そうやってまとめて表現したとしても
それに含まれている一人一人、一つ一つを
忘れないようにしよう。
と感じた一日でした。
毎年、
「震災の前日に三宮に行ったなー」ということを思い出すのですが、
今年はまた違った記憶がよみがえり、
感じることも今までと異なりました。
その時の環境によって、違うものですね。
あの大きな揺れと恐怖は鮮明に覚えている忘れられない記憶ですが、
当時の出来事の記憶は
25年の月日で少しずつぼやけていっているように感じています。
忘れないためにも、
毎年思い出し続けていきたいと思います。
