座右の銘紹介~みくみんの場合~ | インプロ部 Platform

座右の銘紹介~みくみんの場合~





こんにちは
みくみんです。

座右の銘紹介ということで、
わたしの座右の銘は

「なくしたものはいらないもの
ほんものは手に残る」

です。

チャコールフィルターというバンドの
曲の一節で
「ダメな自分を愛せはしない、強く生まれ変われ」
という
惚れ惚れするような厳しい言葉ではじまるうたです。

頑張らなくていいとか
そのままでいいとか
努力を否定するような
真面目が馬鹿をみるような風潮に
わたしはどうしても馴染めません。

この一節は
この厳しい歌のなかでも最も厳しい言葉だと解釈しています。


なにかを始めるとき
なにかを変えるとき
大切だったものや人を失うことがあります。
失うことを怖れて
立ち止まるよりは
失うリスクを背負ってでも
前に進むことを選びたいときに
「一度失おうと、ほんものであれば必ず残る、また戻ってくる」
と自分に言い聞かせます。

残らなければそれまでの縁だったと言うことで。


呑気な気休めに聞こえることと思います。
事実として、手放して二度と戻らない大切なものもあるかもしれません。

けれど、残ったものをほんものに変えていくしかないのです。

たらればを言ってもきりがないので、
ただ、現状をほんものにして生き続けるしかないのです。

わたしは、運命論者ではないのですが
後付けでいいから運命的な生き方をしたいとは思っています。

すべての出会いも、すべての喪失も
必然であったかのような物語を紡ぎたい。

こじつけだと言われようと、
負け惜しみに見えようと。

過去の評価は、現状が決めていくものなので
過去の喪失を肯定できるような
現状を紡ぐという決意でしかないのです。

なにを失おうと、これからを良くする覚悟があるから、
何でも手放すことができる。

だから、厳しい言葉なのです。

わたしは、どうやら即決が多いようです。
人生の大きな決断ほど即決します。
なにを選んでも良い方に向かわせるということを決めているからです。


そして、すこしだけ
この考え方は即興の紡ぎ方に似ています。


とはいえ、
シビアに後悔し、失ったことを必死に正当化したことはほとんどありません。

「失ってはじめてわかる大切さ」
と、よく言いますが
わたしは、
「失ってはじめてわかる不要さ」
のほうが頻繁に感じられます。

ほんものは、とてもとても少ない。


写真はうちのウサギ
マリテフランソワジルボーです。