夫のことが嫌いになって、どのくらいの時がたつのだろうか。
「嫌い」という表現が正しいかどうかは分からないし、なんだかしっくりこない。
「心を開けなくなった」「許せなくなった」「生理的に受け付けなくなった」「価値観が合わない」「人としてどうかと思う」「生き方・考え方に賛同できない」「私のことを認めてくれない・バカにされてる」「感謝してくれない」「言葉の暴力を振るわれる」
「一緒にいても楽しくない」どころか、いても言い争いになるばかりだし、いない方がホッとする。
夫が単身赴任中で、ほぼ週末しか顔を合わせない今の状況が、正直ちょうどいいと思っている私。
息子の前ではなるべく出さないようにしているけれど、子供は敏感だから、きっと私の気持ちに気づいてしまっている。
それが、彼の人格形成に影響を与えるのではないかと思うと不安になる。
でもだからこそ、無理や我慢をしてでも、離婚という選択肢だけは選んではいけないような気がして、自分の気持ちに蓋をし続けてきた。
自分でも気がついているけれど、認めないようにしてきたというか、こうして文字にすることを避けてきた。
私の心が感じていることを直視しないで、日々やり過ごしていけば、いつか自然と夫婦でなくなる日がくるような気さえする。
そもそも既に、夫婦としての関係性は崩壊しているから、書面上だけの夫婦のようなもの。
でももしも、今ここに挙げてみたことを、夫も私に対して同じように感じているのだとしたら?
もしも、この記事を私が書いたと夫が知ったら、どう思うのだろう?
「自分の時間」を生きたいと思っていて、大事な人生を大切に生きたいのに、自分の気持ちに蓋をしたまま、ごまかして生きていていいの?
一体いつからだろう?
幼い息子を連れて海外駐在に帯同すると決めて、夫が先に住んでいた引っ越し先の家が、夫自らのせいで、とても住める状況ではない環境にしてしまっていて、ハイハイしている息子連れなのに、到着早々、丸一日がかりの大掃除をしなければならなかったあの時から?
それよりもっと前、私には仕事をしないで家にいてほしいと思っていると悟ったあの頃から?
結婚して早々、私よりも自分のお母さん側につく人だと知った時から?
私の家族を全否定された時?
結婚する前に一度別れていた頃、ストーカーのように後を追われた時から既に、結婚すべき人ではなかったのかな。
逆に、夫の携帯に女からメッセージがきた瞬間を、夫の目の前で目撃したこともあったけど、それでも何とも思わなかった私。
いろんなことが積み重なり、私の心はどんどん閉ざされていった。
閉ざされてしまった心を開く日は、きっともうこない。
「閉ざされていた」けれど、今はもう過去形「閉ざした心」。
夫に対して心を閉ざした私が、その心のうちを開ける唯一の場所がここ。