人は、  
集団になると、  
少しずつ本音を隠す。

でも。  
隠した感情は消えない。

見えない場所で、  
ずっと誰かを傷つけ続ける。



数日後。

朝比奈悠は、  
学校へ戻っていた。

冬の朝。  
校門。  
制服姿の生徒たち。

笑い声。  
スマホ。

いつもの景色。

なのに。  
悠には、  
まるで別世界に見えた。

ザワザワザワ……。

耳鳴りみたいなノイズ。

人が多い。  
感情が多すぎる。

『めんどくさい』  
『学校ダルい』  
『あの子うざい』  
『嫌われたくない』  
『死にたい』

無数の本音が、  
頭の中へ流れ込んでくる。

「……っ」

悠は思わず立ち止まった。

息が浅い。  
気持ち悪い。

周囲の空気が、  
ドロドロして見える。

「朝比奈?」

声がした。

クラスメイトの男子、  
宮坂蓮。

「もう大丈夫なの?」

「……うん」

悠は無理やり笑う。

すると。

蓮の周囲から、  
灰色の波紋が広がっていた。

『気まずい』  
『なんて話せばいい』  
『病んでそう』

悠の胸が少し痛む。

悪意じゃない。  
でも。

本音は、  
ちゃんと存在している。

それが苦しかった。



教室のドアを開ける。

瞬間。  
ノイズが爆発した。

ギャハハッ。  
笑い声。

机の音。  
椅子を引く音。

スマホの通知。

感情。  
視線。  
嫉妬。  
不安。  
孤独。

全部が一気に押し寄せる。

「――ッ!!」

悠は頭を押さえた。

すると。

一瞬だけ。

教室中の人間から、  
黒い糸みたいなものが伸びているのが見えた。

天井へ。  
空へ。  
巨大な“輪”へ。

『感情供給、安定』  
『群体同期、正常』

低い声。  
機械みたいな反響音。

悠の背筋が凍る。

「朝比奈?」

誰かが心配そうに覗き込む。

現実へ戻る。  
糸は消えていた。

「……だ、大丈夫」

全然大丈夫じゃなかった。

     ◆

席へ座る。

窓際の後ろ。

でも落ち着かない。

周囲の感情が、  
ずっと流れ込んでくる。

『彼氏ほしい』  
『将来不安』  
『あの先生キモい』  
『帰りたい』

悠は俯いた。

みんな笑っているのに。

本当は、  
全然楽しそうじゃない。

その時。

「朝比奈くん」

女の子の声。

悠が顔を上げる。

そこにいたのは――  
橘ひかり。

明るい茶色の髪。  
柔らかい笑顔。

クラスでも人気者の女子。

「体調もう平気?」

「……あ、うん」

「よかったぁ」

ひかりが笑う。

その瞬間。

悠は見てしまった。

彼女の周囲。  
淡いピンク色の波紋。

でもその奥に。

深い青色の孤独。

『嫌われたくない』  
『一人になりたくない』  
『本当はずっと苦しい』

悠の胸がざわつく。

笑顔なのに。  
無理してる。

分かってしまう。

「……朝比奈くん?」

「え?」

「なんか顔色悪いよ?」

ひかりが心配そうに覗き込む。

その瞬間。

悠の頭へ、  
知らない映像が流れ込んだ。

夕暮れ。  
泣いている少女。  
雪。  
遠ざかる背中。

そして。

『今度こそ、  
 見つけてね』

「――ッ!!」

悠が椅子から立ち上がる。

教室中が静まった。

「え?」  
「どうしたの?」

周囲の視線。  
ノイズ。  
感情。

一気に押し寄せる。

『空気やば』  
『怖……』  
『変なやつ』  
『かわいそう』

「……っ」

悠の呼吸が乱れる。

その時。

窓の外。

冬空の向こう側に。

巨大な“目”が、  
ゆっくり開いた。

ギョロリ。

『対象、  
 集団適応不全を確認』

『孤立段階へ移行』

「やめろ……!!」

悠が叫ぶ。

教室が凍りつく。

そして。

悠だけには見えていた。

クラス全員の頭上に、  
黒い糸が繋がっているのを。

まるで。  
誰かに操られているみたいに。