世界には、  
“見ないようにされているもの”がある。

みんな、  
気づかないふりをして生きている。

いや。  
気づけないように、  
されているのかもしれない。

     ◆

朝だった。

病室のカーテンの隙間から、  
白い光が差し込んでいる。

でも。  
悠はほとんど眠れなかった。

目を閉じるたび、  
あの“目”が現れる。

『観測者を確認』

あの声が、  
まだ耳に残っていた。

「……っ」

悠はゆっくり起き上がる。

身体は重い。  
熱は少し下がったはずなのに、  
頭の奥だけがずっと痛かった。

その時。

病室のテレビが突然、  
ザーッ……と砂嵐になった。

「!?」

悠が振り向く。

次の瞬間。

画面いっぱいに、  
“目”が映った。

ギョロリ。

巨大な黒い瞳。  
こちらを見ている。

『同期率上昇』  
ノイズ混じりの声。

『対象、  
 認識段階へ移行』

「やめろ……!!」

悠が叫ぶ。

その瞬間。  
テレビが元へ戻る。

朝のニュース。  
何事もなかったみたいに、  
アナウンサーが笑っている。

「…………」

悠は呼吸を止めた。

今の、  
本当に見えたのか。

それとも。  
自分だけなのか。

     ◆

「起きてたんだ」

病室のドアが開く。  
白石ミナが立っていた。

白いニット帽。  
昨日と同じ、  
静かな目。

「……また来たの」

「うん」

ミナは自然に椅子へ座る。

その瞬間。  
悠の周囲のノイズが、  
少しだけ静かになった。

やっぱり、  
彼女の近くは楽だった。

「顔色悪いね」

「……眠れなかった」

「見た?」

悠は黙る。

ミナの表情が曇った。

「やっぱり……」

「ミナは知ってるの?」

「全部じゃない」

彼女は小さく首を振る。

「でも、  
 “気づき始めた人”を、  
 向こうが見つけることはある」

「向こう?」

ミナは少し迷う。  
言っていいのか、  
考えているみたいだった。

「……空の向こう側」

悠の背筋が冷える。

昨夜見た、  
黒い層。  
巨大な目。

あれを思い出す。

「ねぇ朝比奈くん」

ミナが真剣な目になる。

「空って、  
 本当に“空”だと思う?」

「……は?」

「学校で習ったこと、  
 本当に全部正しいと思う?」

悠は答えられなかった。

昔から、  
どこか違和感があった。

なぜか。  
理由は分からない。

でも。  
この世界は、  
何かがおかしい。

ずっとそんな感覚があった。

     ◆

ミナは窓の外を見る。

冬の空。  
白い雲。  
太陽。

でも。

「私ね、  
 小さい頃から変な夢を見るの」

「夢?」

「空が、  
 もっと近かった夢」

「…………」

「月も、  
 すごく近くて」

「巨大だった」

悠の心臓が跳ねる。

それ。  
自分も見た。

昨日、  
頭へ流れ込んできた映像。

二つの月。  
赤い空。  
崩れる文明。

「それに」

ミナが続ける。

「街の下に、  
 もう一つ街が埋まってる夢」

ゾワッ。

悠の身体に鳥肌が立つ。

「なんで……」

「朝比奈くんも見た?」

「…………」

悠はゆっくり頷いた。

するとミナは、  
悲しそうに目を伏せる。

「やっぱり……」

「何なんだよ、  
 これ……」

「分からない」

彼女は正直に言った。

「でも、  
 たぶん私たち」

ミナが小さく呟く。

「少しずつ、  
 “消された記憶”を思い出してる」

     ◆

その時。

病室の外で、  
赤ん坊の泣き声が聞こえた。

オギャアアア――。

悠が反射的にそちらを見る。

次の瞬間。

世界が一瞬だけ、  
歪んだ。

赤ん坊の周囲に、  
巨大なガラス容器が見える。

青白い液体。  
無数の赤ん坊。  
管。  
光。

「――ッ!?」

悠が息を呑む。

すると映像は消えた。

廊下には普通の親子しかいない。

「今……」

悠が震える。

ミナの顔色が変わる。

「見えたの?」

「赤ちゃんが……」

言葉が詰まる。  
怖かった。  
あまりにも現実感があった。

「……ダメだ」

ミナが青ざめる。

「思ったより早い」

「何が」

「朝比奈くん、  
 たぶん“深い層”まで見え始めてる」

「だから何なんだよ!!」

悠の声が震える。

「俺、  
 普通に生きたいだけなのに……」

その瞬間。

ミナの表情が、  
少しだけ苦しく歪んだ。

『私もだよ』

彼女の本音が、  
小さく聴こえた。

     ◆

そして。

窓の外。  
冬の空の向こうで。

黒い“何か”が、  
ゆっくりこちらを見下ろしていた。