昨夜は

 

寝落ち寸前のところで

 

心拍上がって

 

ハッ!となるのを繰り返し

 

なんとなく

 

眠くもなくなってきて

 

寝ようとするのを諦めて

 

Kindleで本読んでたんだけど

 

 

 

ここ数年では珍しく

 

ふと

 

自分の死が頭をよぎったりして

 

死ぬ時ってこんな感じなんだろうなぁ。

 

少しずつ静かになって行くなぁ。。

 


てことは

 

このまま死ぬんかなー?

 

なんて思ったりしてて。


自分のことのようで

 

どこか客観的で、とにかく変な感じだった。

 

 

最後にスマホで時間を見た時間は

 

覚えていて

 

それからしばらく経ってようやく寝落ち。

 

 

 

朝は、なんだか

 

白いモヤがかかったような目覚め。


生きている実感というか

 

体感はあるのだけど

 

なんかおかしい。
 

 

でもまぁ

 

寝不足だろうと思っていたら

 

叔父の訃報が届いた。

 

 

 

旅立った時間を聞いて

 

目の前のモヤは消えた。

 

 

 

私が夜中に見た時間は

 

魂の旅立ちが定まった

 

時間だったのだろう。

 

一人で家にいて

 

 

旅立った

 

母のこと

 

主人の父のこと

 

愛犬達や愛猫達を

 

思い出しています。

 

 

 

その中で

 

悲しさ

 

寂しさ

 

自分への怒りなど

 

ネガティブな気持ちに

 

埋めつくされそうな気持ちに

 

なるけれど

 

 

 

私の中に

 

絶対に存在している

 

ポジティブな気持ちを

 

隠すことができない。

 

 

 

もし

 

旅立つ人や動物が

 

闘病に苦しんだりしたのなら

 

なおさら生まれる気持ち。

 

 

 

「終わって良かったね。。。」

 

「やっと卒業だね。。。」

 

 

そんな気持ちに似たもの。

 

 

 

そして

 

抱きやすい後悔の念たちは

 

言ってはならないような

 

気持ちにさえなってしまう。

 

 

 

昨夜、寝付けないでいた時に

 

このまま死ぬのかもしれない。

 

って思った時

 

真っ先に感じたことは

 

「確実に終わる安心感」だった。

 

 

私は

 

イタコでもなければ

 

チャネラーでもないので

 

人の魂とは会話はできない。

 

 

だけれど

 

叔父が今まさに感じているものを

 

感じたのだろうと

 

思うことにした。

 

 

 

 

あの時に確かに感じた

 

安心感。

 

 

 

旅立った動物達から家族に

 

「悲しんで欲しくない」

 

「後悔なんていらないよ」

 

という言葉が伝えられる意味が

 

少しばかり分かったような気がした。

 


 

お盆で

 

仏教的に言えば

 

仏様が帰って来る期間。

 

きっと

 

還って行った魂たちとも

 

交流しやすい期間。

 

 

寂しさは今もあるけれど

 

やっぱり

 

お悔やみより

 

溢れる感謝を伝えようと思う。

 

 

そして

 

旅立った叔父の

 

亡骸を前にしたら伝えよう。

 

 

教えてくれてありがとう。

 

って。

 

ちゃんと分かったよ。

 

って。

 

 

そして

 

「終わったね。よかったね。」

 

と。