先日

ふと手にとったスマホに

知らない番号からの

着信があり


普段

電話の着信音は

鳴らないようにしてあったり

よっぽどのことがない限り

電話に出ることがない私だけれど


出ない訳にはいかない気がして

電話に出たら



夫と連絡が取れなくて

慌てて混乱している

義妹から

夫の父の

急逝の知らせでした。



夫は

混乱の中

少しばかりの冷静さを

見せながら

すぐに帰省をし


私も翌日

車で夫の実家へ向かいました。



思い出すのは

帰省のたびに見せてくれた

満面の笑みばかり。



今年は

今まで一度もしたことがないという

お正月帰省を

一緒にして



その時に

かなり

体調は

しんどそうだな。。。

という印象だったけれど。


こんなに早く

旅立ってしまうなんて

驚きと

悲しみと

非現実的な感覚とが

交差して



そんな中

夫の気持ちを想うと


長野までの

道のりが

遠く

遠く

感じました。



やっと会えた義父は

驚くほど

穏やかな顔で眠っていて

今にも

起き上がりそうで。



でも

そこには

確かに

生というエネルギーは

無く

残念な気持ちが

溢れて止まりませんでした。



長い時間を

家族として

暮らしてきた

義母


義妹は


悲しむ暇も無いほど

弔いの準備に追われ

何か力になれることがあればと

思いながらいたけれど

手を出すことが

家族として

やってあげたいという想いを

邪魔してしまいかねないことが

嫌で

ほぼほぼ

何もせず

手が回らないことだけを

手伝い

溢れる気持ちたちを

ただ聞くことに

徹しようと

思いました。




私が

そうだったから。


最後くらい

どんなに疲れようと

大変だろうと

やっぱり

自分でやりたい!

という想いが

強かったのを

思い出して。




一通り

お見送りの式が終わり



もう

お義父さんが作った野菜も

手打ちのお蕎麦も

口にすること



可愛がってくれた

MarcやTellusを見たときの

目尻が

これでもかと下がる

クシャッとした笑顔を

見ること


子供たちの喜ぶ姿を見るのが

大好きなあまり

尽くしてくれることも

それを受け取ることも

全てが叶わない



...と想うと

残念で

悲しいけれど



たった2年余りとはいえ


「恵子さんは

私たちの娘だから」

という

言葉だけでなく

実際に

本当に可愛がってもらっていたことを

実感しました。



もう

受け取ることも

伝えることも

叶わないと

知るたびに



嬉しかったことは

嬉しいって

有り難かったことは

ありがとうって

心配になっ時は

どうしてる?って



やっぱり

心の中に

ぼんやりと

ふと

思い浮かんだ気持ちは

その都度

丁寧に

出していこうと思う。



生きていると

つい

疎かにしてしまうけれど。





私の実家には

父が一人


夫の実家では

母が一人


私たち夫婦の

在り方と

方法で

支えていきたいと

思います。




夫の父の逝去にあたり

身近な

関係者さまにのみ

お知らせさせていただきましたが

お気持ちを寄せていただきましたこと

まだまだ

長野にいて

悲しみと

現実を受け入れなければ

ならないところで

葛藤があるだろう

夫に代わり

御礼を申し上げます。

ありがとうございました。




明日が来るという

当たり前のように

思えてしまうことは

当たり前ではないことを

何度

お別れを経験しても

その度に

思い知らされます。



やりたいことを

やろう。


やりたくないことを

やめよう。



一日一生。


宮坂 恵子