お母さん(公子)は
戦争で
辛い思いをしている
わたし(民子)
より
可哀そうだから
甘えることを
遠慮してあげよう
(事情をかんがみ自ら我慢した)
祖母:公子 母:民子 娘:唯子
あなた(唯子)は
何でも欲しいものが買える
元気な母親と元気な父親がいる
わたし(民子)
より
ましなんだから
アレコレ欲しがるんじゃないよ
(私を基準にして我慢を要求する)
幼児性の欲求(心の食事で心)を満たそうとすることを阻止される
負の連鎖には比較がつきものです。必ず出てきます。
この比較を正当なものとして苦痛に甘んじることを自他に強要してきます。
自ら我慢 他者に要求
しかし、これはどれも間違いです。
戦争がそもそも悪いことで
それが取り上げられなければなりません。
戦争で傷ついている母親・公子が癒され、民子が与えられて当然の権利を全うできることが正解です。
もちろんそれは現実的には出来ることではありませんでした。
政府に楯突くのか!と言って木っ端みじんにやられて終わりだったかと。
でも、メンタルケアの観念から言えば出来ることです。
戦争のことで傷ついた心を癒すことは可能です。
ただ、その昔は
傷ついた心を癒す
癒す方法がある
などという概念がそもそもなかったので
重い蓋をして痛みがうずかないように封印する。という手段が用いられていました。
しかし、ほとんどの人がご存知のように、それでは問題は解決されず、その人の内部にある痛み苦しみに刺激が加わる度に、その人は痛みにあえぎ怒り出したり、ふさぎ込んだリ、周囲が痛みの嵐に巻き込まれることとなっていました。
また、体内深くに押し込められた感情は人の体を蝕み病となって行きます。
未解決の負の感情エネルギーは
人生の破綻
肉体の破綻(病気)
という結果となって現れてきます。
幸福な社会を作るためには
私達が平和に幸福に生きたければ
精神的な痛み苦しみは存在すると認められるだけの
賢明さを持つことが必要です。
そして、それは人が本来持っている癒しのプロセスを使うことが最も理にかなっています。
躾けられていない子供を見れば
みんなそれを自然としています。
ママのバカ~
泣くな、怒るなと言って奪われている
癒しの機能を復活させることは重要なことです。
辛い過去の記憶は正に
痛み・苦しみ
なので
身体から出そうとするときに「痛い」「苦しい」のは当然です。
体力もそれなりにいります。
溜め込んで押しつぶされているものならなおさらです。
しかし、痛みをおして挑み終えると
そこにどれだけの価値があったか
ハッキリと認識できます。
軽やかで明るい人生というものが目の前に広がっているのですから当然です。
セッション当時に何も感じられなかったという人にはお代は頂いていません。
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美智子