今日も誰かの役に立つ内容を提供しているつもりです!(笑)
弱音を吐かない
ここには二通りの世界があります。
GOOD & BAD
GOOD 自分が強くなれて満足を感じられる
例えば 一人での外食や映画鑑賞が出来なかった
勇気を振り絞って一人外食や映画鑑賞を体験してみた
出来るようになれた!
BAD 疲れ果てて意気消沈 自分はダメだと感じ入る
例えば 仕事
体力的に大変なのに弱音を吐いちゃダメだからと
必死でもくもくと頑張った
所がアレコレ間違いが発生していた
結果、自分はやはりダメなんだと 実質以下にたどり着く
周囲は間違いの訂正に駆り出される。
弱音=困り事精神的 肉体出来な困り事(限界)に遭遇している
吐く=表示どんな事に遭遇しているのかを開示することで
解決策を提供してもらう事を求める結果問題は起きない
解決策をともに考えてもらう結果問題は起きない
どうして人は強くならなきゃいけないんだろう?
強くなって どんな得があるのだろう?
その強さ
どこの
どんな場面で
使うのだろう?
だって、その強さ 求めちゃいけないのに
だって、弱音は吐いてはいけないんだから
それに、その強さ 提供もしちゃいけないのに
その強さ・・・何のために必要なんだ~
要は
一人でなんでもできるようになれって事なんだよね
一人で出来るようになる為に
必要なのは
修行?
それとも
コツ や やり方 を教わる事?
明かに修業のような
過酷さや厳しさは要らないなぁ
コツややり方を教わる
優しさのリレーをパスしたいですよね
優しさで人間は奈落に落ちる?
修行だ!って突き放されて辛い思いをさせられる
それ自体が「奈落の世界」だと思いませんか?
優しさ・・・・・・・・・・・・なんでこんなに敬遠されるのでしょうね。
やらなきゃならない事っていっぱいあります。
やらない訳には行きません。
家の周りに水たまりが沢山出来て蚊が大量発生
水たまりを埋める作業大変でやりたくないけど
やらない訳には行かない
いくらやっても作業が終わらず…辛いなぁって気持ちを
受け止めらて
慰さめられたら
やる気UPしませんか?
これのどこが悪い事なんでしょうね?
でも、そうした優しさを求めることは悪い事だという
風習?習慣?ってありますよね。
姿を見せない嘘つきにはご用心を。
この嘘つきの共通点
一見すると人の為のありがたい教えのよう
だけど
「厳しさ」と「苦しみ」ばかりでいつまでも愛や優しさに触れられない
人は、優しさや愛に触れられると
厳しい修業の結果として力んで優しくなれるのではなくて
自然と優しくなれる
自然災害などで苦しい状態になった時
いつも優しさや愛に触れていたからと言って
対応できないなんて事は無い
あえて厳しくしたり苦しくさせる 必要性がどこにあるんだろう?
助け合いで生きて行く方が人らしい