オールオンフォーとの出会いから治療までをつづります。
母は、無事世界一周船の旅の途中でリスボンに下船してから14日目に自宅近くの
病院に搬送されました。
その後、リスボンでは外出まででき、ステロイドも半量、半量で減量で、そのまま
元の状態に回復すると予想していましたが、ステロイドが増量され、結局6ヶ月以上
入院することになり、別の肺炎などを起こし、状態が悪くなっていきました。
私は不安になり、このままでよいのか?と自問自答する日々が続きました。
しかしながら、医師でない私には本当のことはわかりませんでした。
リスボンの医師の申し渡しでは、ステロイドはそのまま減量していくというこ
だったのに、最後の申し渡しを本気で聞いていなかったことを悔やみました。
しかし、また日本の医師の診断でもあるので、仕方がありませんでした。
一度は外出許可がでて、リスボンで食事や観光を楽しんだ母は、回復したように
見えながらも入院を続け、大量の薬、頻繁なCT撮影で、だんだんと元気がなく
なっていくように見え、私達は後悔のなかにありました。
そうこうするうちに、世界一周の旅の条件として入った保険会社(イタリアの
保険会社)から、アシスタント会社から請求されたうちの1000万円ほどは
支払えないので、払ってほしいとの電話がかかってきました。
私は愕然としました。
初めはジェット機を飛ばすというのを、思いとどまらせ、医師、看護婦の派遣に
ついても辞退しても絶対譲らず派遣してきて、保険の支払いについて不安で
何度も聞いて、確認しながら進めて来たのに、1000万円支払えという結果
とは!!
不運が私達に束になって襲いかかってきた、、と感じてしまうのでした。
つづく
搬送時、心配して長崎の病院に駆けつけてくれた母の姉妹(叔母達)
母は、無事世界一周船の旅の途中でリスボンに下船してから14日目に自宅近くの
病院に搬送されました。
その後、リスボンでは外出まででき、ステロイドも半量、半量で減量で、そのまま
元の状態に回復すると予想していましたが、ステロイドが増量され、結局6ヶ月以上
入院することになり、別の肺炎などを起こし、状態が悪くなっていきました。
私は不安になり、このままでよいのか?と自問自答する日々が続きました。
しかしながら、医師でない私には本当のことはわかりませんでした。
リスボンの医師の申し渡しでは、ステロイドはそのまま減量していくというこ
だったのに、最後の申し渡しを本気で聞いていなかったことを悔やみました。
しかし、また日本の医師の診断でもあるので、仕方がありませんでした。
一度は外出許可がでて、リスボンで食事や観光を楽しんだ母は、回復したように
見えながらも入院を続け、大量の薬、頻繁なCT撮影で、だんだんと元気がなく
なっていくように見え、私達は後悔のなかにありました。
そうこうするうちに、世界一周の旅の条件として入った保険会社(イタリアの
保険会社)から、アシスタント会社から請求されたうちの1000万円ほどは
支払えないので、払ってほしいとの電話がかかってきました。
私は愕然としました。
初めはジェット機を飛ばすというのを、思いとどまらせ、医師、看護婦の派遣に
ついても辞退しても絶対譲らず派遣してきて、保険の支払いについて不安で
何度も聞いて、確認しながら進めて来たのに、1000万円支払えという結果
とは!!
不運が私達に束になって襲いかかってきた、、と感じてしまうのでした。
つづく
搬送時、心配して長崎の病院に駆けつけてくれた母の姉妹(叔母達)