何かあるたびに、
「なぜ生きるのか?」
「どのように生きるべきか」
ということを考えますが、なかなかこれ!という答えが出てきません。
私が子供のころ、母は、「人生は修行だ。魂を高めるために生きるんだよ」と言っていましたが、本当にそうでしょうか?
修行ということは、苦しむということか?
つまり、
面白おかしくを追及して生きるのは意味がないのか?
正反対ですよねぇ?
もちろん、
「なぜ生きるのか?」
「どのように生きるべきか」
ということは、その人によって違うということでいいのですよね?
私が、はっきりさせたいのは、自分と違う生き方をしている人を・・・
自分と違う考え方をしている人を・・・
批判し、憎み、邪魔をし、困らせてやろうと考え、行動することは止めてほしいです。
話を戻して、
「なぜ生きるのか?」
「どのように生きるべきか」
ということを考えるときに、突然深刻な病気、事故に合い寝たきりになるかもしれない。それが明日かもしれない。
そう思うと、数十年後の幸せのために今、苦労すべき、今の人生の楽しみは後回しにすべきという考え、例えば受験生とか・・・でも、半年月後に寝たきりになるかも知れない。
もし、半年後に寝たきりになることを知っていたら、受験勉強は止めて、楽しいことだけして生きてもいいのではないか?と思うのです。
よく、末期ガンのひとは医者に「やりたいことをやりながら過ごして下さい」と言われるのでしょう?
でも、そもそも半年後に死ぬ。というのは、半年前にわかっていない人が多くいて、その人は突然、寝たきりになったり、交通事故で、突然亡くなったりするわけですよね。
人は、必ず死ぬということと、いつ死ぬかわからない、老人になれるのかさえも分からないのですから、老後のために現在は苦労しておくべきだという生き方は、いかがだろうか??
でも、その日暮らしで面白おかしく生きるのはいかがだろうか?
んんん・・・
またわからなくなっちゃいました。
今日は、24時間テレビです。あまり見ていませんが、日本テレビ関係者は頑張っていますね。