沖縄の友人に寺と神社がよくわからない
と言われたので。ナイチャーとして。
立派にお答えしてあげた。
寺は“心”を扱う場所
神社は“魂”を扱う場所
我ながら、シンプルかつよい答えだ。
昔。父が言ってた。夜の墓場は怖くない
なんだかざわざわして賑やかであったかい。
一方夜の神社はシーンとしていてものすごく
恐ろしい。
この感じ方は寺で生まれて育った
父特有の感覚かもしれない。
だけど。神社には
御霊 荒御霊 ふりたま 。。。のごとく
“魂”が宿る場所というのはだいたいあってるのかな。
神主さんの説法はあんまり聞かないけど
お坊さんは説法ってのをよくするのが通常だし。
で。沖縄にしろキリスト教圏のひとにしろ
文化圏が違うと宗教観っていうのがなかなか
理解しづらい。
“ニューエイジ”的な話の中で
常になんだか気持ちの悪のが
“愛”という言葉。
翻訳でしか読んだことないので
よくわからないけど。どうも。
魂=愛
そんな概念で話が進んでいく。
それで、なんとなく。気持ちが悪い。
愛。
ほっておくのも愛
愛のムチ
と、まぁいつごろから日本で
こんな使われ方がはじまったのか
しらないけど。
▼ここからは例え話ね▼
理由はわからないけど、赤ちゃんの機嫌が悪い
ほっておくのも愛
愛のムチ
機嫌をなおしてはもらえないだろう?
ほっておけばいづれ死んで静かになるかもだけど。
叩いて殺せはしずかになるだろうけど。
・・・だからね。
わたし、こうゆうの“愛”って呼んだらダメだと思う。
赤ちゃんの機嫌が悪いのは
魂が荒ぶっているため
その魂を沈めるには知恵がいって
その知恵を行使して魂を沈める行為が
“愛”
だから、こういってはなんだが、
経験不足や馬鹿には“愛”は使えない。
相手がそれを喜んで受け入れられる代物以外は
“愛”なんて呼んではダメなんだよね。
気軽に“愛”とかゆうなよな。
日本人ならね。
=昨夜:下落合の妙正寺川あたりにて=
おはよお☆こっちはよいお天気だぁ♥