明けない夜はない・・・広汎性発達障害 -3ページ目

PCと宿題

ちょっといつもとは趣旨を変えて・・・。


彼の学校の宿題で、たまに

”インターネットを使って調べてきなさい”

というものがあります。


社会とかだと、

”○○時代の△△将軍の行った政策は?” とか、

”××幕府が滅亡した理由は?” とか。

あと、理科かな?

”□□草について・・・” とか。


ん~、これってどうなんでしょう。

学校で教えないのかなー・・・。

予習っていう捉え方?


で、彼に言っても仕方が無いことだけど、

毎回私が彼に言ってしまうこと。


「へ? パソコン使えないのに、

宿題をパソコンでやるってどーゆーこと?」

「パソコンがお家に無いお友達は、どーするの?」


彼曰く・・・

お家の人と一緒にしなさい、とか

お家になければ図書館とか、パソコンのあるところに

お家の人と行きなさい、とか、先生が言う・・・らしい。


家庭で子供の宿題をみてあげる方もいるでしょう。

一般家庭でもパソコンの普及率は

高くはなってきたでしょう。


でも・・・? 私には納得が行かない。


授業でパソコンを使用している訳では無いので、

子供はパソコンの使い方を知らない。

一緒に、なんて言ってたら最初から

最後まで操作をしてあげないとできない。


パソコンのあるところって?

それが代金が必要なところでも?

宿題をお金を払ってするの?

もしくはパソコンぐらい買えって?



家にパソコンがあるんだったら、

使い方を教えてあげればいーじゃん?

そう言われそうだけど・・・


子供にもいろいろな個性があるから、

どんなに説明したってネットの危険性は

わからない場合もあるし・・・

他人に頼りがちな性格の場合、

何度言っても使い方を覚えられず

他人にやってもらおうとするばかり・・・

という状況にもなる。


C= (-。- ) フゥー うまくまとめられないっ。


要は・・・器用な子供やとっても興味の

ある子供は、放っておいてもパソコンぐらい

どーってことなくやるんでしょう。

けど、そうじゃない子供もいるわけで・・・。

(大人もそうでしょうけど)


別に平等がどうとかそういうことを

言いたいわけじゃないし、

学校側にもいろいろな意図というか、

思惑があるのだろう、とも思う。


でもやっぱり・・・私には納得できないなぁ。

先生に話してみよう 

(・_・。)(._.。)(・_・。)(._.。) ウンウン

僕がやろうか?

上の子が自室から出したゴミが3袋(大)溜まっていた。
ゴミを出すたびに言うのだが、分別してくれない。
分別してないままベランダに放ってあるので、
回収日に所定の場所に持って行くことができない。


回収車は、指定のゴミ回収日以外のゴミは
回収してくれない。(あたりまえ!)
指定されたゴミ袋に、指定以外のゴミが
混入していると回収してくれない。(あたりまえ!)


回収されなかったゴミは、マンションのエントランスに
「どちらのお宅のゴミですか? 持ち帰ってください!」
というようなことを書かれて晒される。
(そりゃー仕方ありませんわな・・・)


何度言っても分別してくれなくて、
ゴミが溜まる一方ならば、私がするのが妥当なのだろう。
がしかし、私にはできない。イヤだ。


私は自分勝手な潔癖症。
強迫性障害から鬱になり、治療をしている。
吊革も買い物カゴもエレベーターのボタンも、
普通に触ることができない。
自宅のお風呂の湯船に浸かることができない。
自宅の洋式トイレの便座も、毎回使用前に
除菌用のペーパーで拭く。


家にいると1日中
「キタナイ キタナイ キタナイ ・・・・・」と呟いている。


食べ残し、ペットボトル、菓子袋、自己処理のティッシュ、
彼女とした後のティッシュ? ・・・・・
何もかも一緒くたのゴミ袋には、絶対に触らない。


ブツブツと悩みながらヒトリゴトを言っていた。
そうすると、ゴミを捨てられないと嘆く私に彼が言った。


「僕がわけようか? ○○くんがしないから、
 これじゃあゴミを回収してもらえないね。」


「ありがとう。ごめんね。キミのゴミじゃないのにね。」
私はそう言って、彼にお願いした。


1時間弱の時間をかけて、燃やせるゴミ、燃えないゴミ、
缶・瓶・ペットボトル、に分別して、
翌日の回収ゴミ(燃やせるゴミ)を収集場所へ
持っていってくれた彼。

私は、感謝の言葉をいっぱいかけて、助かったよ、と
お礼を言いました。


・・・にしても、長さ30センチ、直径2センチ程の
金ヤスリがゴミに混ざってました。
ゴミ袋は全て燃やせるゴミ用のもの。
上の子の頭を割って、中を見てみたいね・・・と
彼と一緒に笑ってしまいました。

キーワード

仕事を終えて家に帰る。
上の子の彼女が来ていたが、
相変わらず玄関は靴が散乱している。
上の子が使ったサッカーボールも、
三日前から玄関でゴロゴロしたまま・・・


彼は再放送のドラマを見ながら
「おかえりー」と言った。
やはり半袖のシャツを着ている。
外はもう薄暗く、少し冷たくなった風が
吹いている。


「ほらーどうして半袖の服なの?
 体を冷やしたら風邪がひどくなるでしょう?」
私はそう言った。


「え? 風邪じゃないよ。
 だって、のどが痛いんだから・・・」
彼はそう言った。


(ー。ー)フゥ ここ数日、私の言っていたことは、
なんだったんだろう?
彼の頭の中じゃ、どういう風になっていたんだろう。
・・・・・心の中でつぶやく。


「風邪でものどが痛くなることがあるんだよ。
 すぐに長袖に着替えなさい。」
私はそう言った。


「え? そうなの?
 でも、長袖無いよ。」
彼はそう言った。


一緒に彼の部屋へ行き、秋冬物の洋服を指差す。
「ほら、あるでしょう?
 これに着替えなさい。もう長袖の季節なんだよ。
 もう扇風機もいらないし、窓も閉めておくんだよ。」


長袖のトレーナーに着替えて宿題を始める彼。


彼の頭の中で、きっかけとなるキーワードは
何だろう?
やっと彼に秋という季節がやってきた。

のどが痛い

今朝起きると、彼は「ぐじゅぐじゅぶちゅぶちゅ・・・」と

何か言っている。

半泣きになり鼻をぐずぐずいわせていた。


リビングまで上下ともに下着姿のまま制服を

手に持って現れ、ぼーっとテレビを見ながら

時間をかけて着替える。

これは、いつものこと。


今朝はわざと咳を絞りだしていた。

もうしばらく風邪気味の状態が続いている。

手洗いやうがい、体を冷やさないように・・・と

何度言ってもしようとはしない。


風邪がひどくならないように、自分でも

気をつけなくちゃダメなんだよ。

ひどくなって痛かったりしんどかったり、

学校を休んでつまらなかったり、

ご飯が食べられなかったりするのは、

自分なんだからね。


シュミレーションで場面を思い出させながら、

何度も何度も同じことを言う。

神妙に聞きながら、その場ではうがいをしたり、

洋服を長袖に着替えたりする。

(※まだ半袖です。長袖があっても半袖を着ます)

けれど、すぐに忘れてしまい、

夜は扇風機をかけて、窓を開けて寝ている。

もちろん私か父親が扇風機も切って、

窓も締めるのだけれど、夜中に起きた時に

また同じ状態に戻している様子。


障害のせいもあり、彼は体温調整が苦手。

こだわりもあって今は未だ半袖の季節だと言う。

季節の変わり目には必ずこんなことを繰り返す。


そろそろだな・・・と思っていたところ、

今朝はぐじゅぐじゅの間に「のどが痛い」という

言葉が聞き取れた。


「だからあれほど言ったでしょう?

もう扇風機はいらないって、

長袖のパジャマを着なさいって、

うがいをしなさいって、

窓を閉めて寝なさいって、

自分が悪いのだから知りません!」


↑の言葉をぐっと呑み込んで、

私はしばらく無視をしていた。


着替えが終わったら、用意してあった朝ご飯を

「いらない」と言い自分の部屋に戻った。

まだぐずぐず言いながら、「のどが痛い」と

キッチンの私に聞こえるように繰り返している。


しばらく放っておいたら諦めたようで、

学校へ持っていく水筒を持ってキッチンに

やってきた。


先週、同じ症状の風邪で学校を休んだ上の子。

その時に上の子に受診をさせたので、

もらってある薬を飲むように彼に言った。

お昼の薬を持たせ、飲み方を説明すると

元気に返事をし、薬を飲んだ。

これでこの時点での彼の気は済んだのだ。


スムーズに準備をし、「いってきまーす!」と

学校へ行った。


加減が難しい。

ぐずぐず言っているからと、すぐに声を掛けると

どんどん痛いところが増えて学校を休むことになる。

自分で勝手にそう思い込んでしまう。


全く声をかけず、もしくはそのくらいのことで

学校を休む必要など無い、大したことないだろうと

言ってしまえば、暴れだす。


彼は決して学校へ行くのが嫌なのではない。

少々の風邪で休んでも退屈なだけ。

先週、お兄ちゃんが学校を休んだから、

ということが大きい要素を占める。


前は、お兄ちゃんが病気などで学校を

休むとなったら、それはもう大変。

「どうして○○くんだけー?」と

泣いて喚いて学校へは行こうとしなかった。


年齢と知能と体格は12歳。

気持ちと考え方と発育(一部)は8歳。

(もう少し幼い部分もあるかな・・・)



一部始終を父親は見ていた。

ぐずぐず言っている彼を見ていた。

見ているだけで何も言わない。


私にはずっと何かを言いたげにしていた。


「○○が風邪で辛そうだよ、のどが痛いって。

何か言ってあげないの?

母親なんだから優しく声をかけて、

何か言ったりしたりすることあるでしょ?」


そう言いたいのだと、私は思った。


今まで父と子だけだった時、

私が一緒に暮らし始めた最初の頃。

少々の風邪なら

「熱も無いのになに?

学校へ行きたくないなら行くな!

大したこと無いのに、何言ってるの?」

そんな言葉だけで、あなたは

子供を送り出していたのに・・・


私の言ったこと、思っていることなど、

聞こうとも考えようともしてくれない人。

なのに、私にどうして欲しいというのか。


何があっても、何をされても、

何を言われても・・・

傷つかず、考えず、

ただ笑って優しく対応するロボットにでも

なって欲しいというのだろうか。

過去と現在

回想と現在を整理せずに書いてきたせいもあって、

自分のなかでもちょっと混乱気味です。m(。_。)m


初めて会った頃の彼は、本当に仰天のことだらけでした。

学校では離席やパニックなどがひどく、

当時の担任に会うたびにぼやかれてましたw

「彼のために半日、1日を費やすことが毎日なんです」


友達ができても、彼の個性を知るにつれ離れていきます。

会話も成り立たず、トラブルばかりなのでそうなるのでしょう。

彼は自分の世界の中で生きているので、

まだ低学年では上手くコミュニケーションなど

できないのがあたりまえですね。


注射が大嫌いで・・・痛いっていうのもありますけど、

その痛みそのものよりも我慢をするのが無理なんです。

低学年なら泣く子も、少々嫌がる子もいるでしょう。

彼の場合は、そんな可愛いものじゃありませんw

泣いて叫んで学校中を駆け巡ります。

ほんと・・・先生には頭が下がりますね・・・。


学年が上がる時のクラス替え。

毎年、何人かの保護者の方から、自分の子供と彼の

クラスは絶対に違うようにして欲しいと言われました。

気持ちはわからなくは無いんですが、

やっぱりちょっと悲しいです。


年齢に応じた社会のルールや常識。

彼にはこれがなんなのかわかりません。

周りをみて自然に成り立っていくものも、

彼にはとても困難で窮屈なものです。


家での生活も同じ。

身辺のこと、習慣、満足にできるということが、

ほぼ無かったように思います。

洗顔、歯磨き、排泄の始末、お風呂、

食事の仕方、服装など身の回りのこと。


彼に目に見えない障害があることに

目を向けていなかったこと。

生活のなかでそれを教える母親がいなかったこと。

これが大きな要因ではあるけれど、

何故にここまで・・・と、私は思いました。

祖母も叔母も、もちろん父親もいたのに、

どうしてもっと彼をしっかりと見てあげなかったのか。


彼は、できないわけではありません。

方法を教える、間違いを教える、

これを繰り返し繰り返し、何度も何度も。

これで随分彼は生きやすくなるのです。


やっとできたお友達の家に遊びに行き、

何故か黙ってその家の鍵を持って帰り、

お留守の時に鍵を開けて入り込んで、

お友達の大事にしているゲームやカード、家のなかの

物などを盗ってきてしまったこともありました。

そのお家は当然ながら泥棒に入られたと思い、

警察を呼んで大騒ぎになりました。


彼に泥棒をしたつもりは無いのです。

悪いことだとも思っていません。

何故なら、彼にとって自分の家もお友達の家も、

同じ家なのです。

鍵を開けて入る、遊ぶ、欲しいものを手にする、

ただそれだけのことです。


仲良くしていたお友達に、

刃物を向けようとしたこともありました。

お友達が、彼の個性に辟易してしまい、

遊ぶのを嫌がった為におきたことでした。

家から持ち出した刃物をポケットに忍ばせ

学校へ行ったのですが、幸い事前に担任の

先生が見つけてくれました。

「○○くんが遊んでくれないから、脅して、

俺は強いんだぞ、だから遊べっていうつもりだった」

というのが、彼の気持ちです。

正直、この時ほど彼の将来を悲観したことは

ありません。

もしお友達に何かあったとしたら、

謝ってもどうにもなりませんから・・・。


家で金槌を持って暴れられたことがありました。

確か、ゲームの時間がオーバーしたかなにかで、

「時間が過ぎてるから、もうできません」と

言ったことが発端だったように思います。

上の子と私で、家中を逃げ回った記憶があります。


パニックになって暴れることなど日常茶飯事でしたが、

上の子が受験の時は壮絶でした。

ナーバスになっている上の子は、

それが堪えられなくて力で彼を抑えようとし、

本当に殺してしまうのではないかと、

児童相談所に泣きながら電話をしたこともありました。


彼は、本当は優しく素直な子供です。

上手くできなくても、人が好きでコミュニケーションを

自分から取っていくタイプです。

やらなければいけないと自分で決めたことは、

コツコツとでもやり遂げる力もあります。

何もなければ、いつもニコニコしていて、

年配の方にはすぐに馴染むし、小さな子供には

優しく接することのできる明るい良い子です。


上に書いたことは、まだ1年経っていなかったり、

昨年、一昨年の出来事であったりしますが、

ここ1年で彼は驚くほどに変わりました。

薬の作用と、それによるいろいろな意味での

視野の広がりにより、彼は凄いスピードで

様々なことを学習しています。
もちろん、完治する病気ではありませんから、

困難な部分が無くなるわけではありませんが。


彼が彼であり、そしてこの社会で生きていくためには、

多くの人の手助けが必要です。

教え導き、彼の良い部分を活かしていけるように、

甘やかすのではなく、理解し、方法を考える。


ここを見てくださる方がいるとすれば、

目に見えにくい障害であるが故に、

生きることに困難を抱える人たちがいることを

覚えていてほしいと思います。