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イタリア王国

イタリア王国(ラテン語:Regnum Italiae または Regnum Italicum)は、
855年のロタール1世の死後、息子たちが遺領の中フランク王国を3分して治めた国のうち、ロドヴィコ2世が治めたイタリアを指す。

概要

中フランク王国を3分してできたプロヴァンス王国の王シャルルが863年に死去し、イタリア王国に編入された。
しかし869年に中フランク王国を3分してできたロタリンギア王ロタール2世が死去したのをきっかけとして、
870年のメルセン条約で中フランク王国の旧領の北部は東フランク王国(国王ルートヴィヒ2世)、西フランク王国(国王シャルル2世)に併合されて、
東フランク王ルートヴィヒ2世がロタリンギア王位を、西フランク王シャルル2世がプロヴァンス王位を獲得した。
そして、875年にロドヴィコ2世が死去してすぐに西フランク王シャルル2世によって併合され、イタリア王国は西フランク王国領となった。
その後、877年の西フランク王シャルル2世の死去を受け、イタリア王位は東フランク王国のバイエルン王カールマンが獲得した。
879年にカールマンは東フランク王国のアレマニア王カール3世に譲った。
カール3世によって884年にフランク王国は統一された。
しかしそれは一時的なもので、888年のカール3世の死後、フランク王ルートヴィヒ1世の孫のフリウリ公ベレンガーリオ1世がイタリア王を継承した。
共同君主であったベレンガーリオ2世、アダルベルトの両者は953年以降、東フランク王オットー1世の後見下の名目上の王となる。
962年に東フランク王オットー1世は神聖ローマ皇帝となり、
翌963年からイタリア王国は神聖ローマ帝国に包含されることとなり、以後歴代の皇帝はイタリア王も兼ねた。

歴代君主

ロドヴィコ2世(ルートヴィヒ2世、フランク・ローマ皇帝ルートヴィヒ2世 855年 - 875年)
カルロ(西フランク王シャルル2世、カール2世、フランク・ローマ皇帝カール2世 875年 - 877年)
カルロマンノ(東フランク王国のバイエルン王カールマン 877年 - 879年)
カルロ(フランク王カール3世、フランク・ローマ皇帝カール3世 879年 - 888年)
ベレンガーリオ1世(フランク・ローマ皇帝 888年 - 924年)
グイード(フランク・ローマ皇帝 対立王 889年 - 894年)
ランベルト(フランク・ローマ皇帝 対立王 894年 - 898年 891年から副支配者)
ロドヴィコ3世(フランク・ローマ皇帝 対立王 900年 - 905年)
ロドルフォ(対立王 922年 - 933年)
ウーゴ(924年 - 947年)
ロターリオ2世(947年 - 950年)
ベレンガーリオ2世(950年 - 963年 953年からアダルベルト2世と共同統治)
アダルベルト2世(953年 - 963年 953年からベレンガーリオ2世と共同統治)
963年からイタリア王国は神聖ローマ帝国の一部となり、歴代皇帝はイタリア王も兼ねた。