◯室の 正体見たり Kの嫁
平安後期~鎌倉時代の事が書かれています。
「後鳥羽院は白河上皇の造営した鳥羽離宮を増修し、風流韻事に歓楽の限りを尽くした」
※いいご身分です。
「院政文化を代表するものに寺院や離宮などの巨大な土木工事がある。後鳥羽院の水無瀬離宮の造営もその一つ。しかし、このような大工事に労苦した庶民の労苦を忘れるわけにはいかない」
※4巻の時、天◯・上◯らの、民不在の所業を云々しましたが、この巻でも続いていますね。因みに、つい先日、竹田氏が、奈良の大仏は、聖武天◯の意を汲んだ民が嬉々として造ったなんて美談にしていますが、事実は真反対です。当時の民は、凶作と租税に苦しみ、仏教界は腐敗していて救われ難い状態でした。なので天◯が造営の詔を発しても、民は「笛吹けど踊らず」だったんですね。そこで朝廷が弾圧・禁圧していた行基を許し、彼の協力を得て初めて大きく動き出し、造営が成ったわけです。因みの因みにその竹田氏は、◯子さんはkk母子に洗脳されてて悪くはないなんて言ってましたが、結婚の際の会見と文書で、元婚約者への対応、kk子の留学など、◯子さんが主導していたと言われてしまいましたね。
「実朝が(鶴ヶ丘八幡宮の)石段をゆっくり下りて来た時、暗殺者(公暁)はその背後から大刀を浴びせた」
※公暁が隠れていたという伝説のその石段脇の大銀杏は、'10年の爆弾低気圧で倒れてしまいましたね; 今はそこに、ひこばえが植えられてすくすく育っています。でもね、高さ30m・幹周7mに達する大銀杏にしては、根の周りの面積が余りに狭い感じです。なのでそのひこばえも早晩(と言っても数百年後でしょうが)、同じ運命をたどりそうです。
「定家は小倉山荘の障子に上古以来の歌仙百人の似顔絵を描き、各一首の歌を書き添えた。世に言う『小倉百人一首』である」
※百人の一人一人に一首ずつって意味だったのね。
「平安時代の初期、空也上人によって始められたという念仏踊りは、鎌倉時代に至り、時宗の開祖一遍上人が、これを受け継いだことから、広く道俗の間に流布するようになった。…室町期以降…盆踊りが派生するに至った」
※なんまいだを淵源としつつも、神社の境内で学会の人たちも参加して踊ったりする盆踊りって、座布団五枚だ!
「人を苦しめ、法律を犯させ、それを罰するのはふびんなことだ。(兼好)」
※技能実習という名の劣悪労働、そこを逃げると不法滞在や不法就労状態になったりし、生きるために犯罪で捕まって罰せられたりするのはふびんな事だ。(タートル)
