元・阪神ファンが今岡誠を語る① | 放浪鴎の「ロッ鉄な日々」

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今岡の入団、正式に決まりましたね。


まあ、入団は既定路線だったんですから、

本人、球団双方にとって早い正式決定はいいことでしょう。


私・放浪鴎、今岡には大いに期待しています。


私が今岡の名を初めて聞いたのは、もう20年以上前。

小6の夏休みに、兵庫県宝塚市に転校し、中学校に入学した後でした。

野球をやっていた友達から、「(1学年上だけど)近くに凄い奴がいる」、と。

それが、今岡でした。(今岡は宝塚市出身です。)


PL学園で甲子園に出場した時も、

阪神にドラフト1位で指名された時も、

「ああっ、あの時○○(←友達の名前)が言っていたアイツかあ!」

なんて思ったものです。


今岡は入団即、1軍に定着。

2年目にはショートのレギュラーの座を勝ち取ります。

しかし、野村監督が就任した1999年から成績は下降。

2000年は40試合の出場にとどまり、長い2軍暮らしを強いられます。

その年のオフに平尾が西武にトレードされた時は

「ああ、こりゃ今岡も危ないな」、そう思いましたね。

チームも4年連続最下位。まさに暗黒でした。


しかし、今岡が生まれ変わったのは2002年。

星野政権下で1番セカンドとして起用され、打率.317、15本塁打。

その年はかつての福浦のような、

とにかく2ベースが多い典型的な中距離打者でした。

チームも開幕から快進撃。日韓W杯が開催された6月に失速して、

結果4位でしたが、確かに阪神は生まれ変わりました。

そして今岡は、まさにその象徴的存在でした。


2003年も1番として、打率.340で首位打者、18年ぶりの優勝に貢献します。

2試合連続先頭打者初球ホームランなんて快挙もありましたね。

また、この年から今岡の代名詞の一つ、

「悪球打ち」も目立ち始めました。加えて鈍足(笑)

鈍足、長打力、悪球打ち、1番打者・・・

ドカベンの岩鬼のイメージですかね(笑)


岡田監督に変わった2004年は3番。

この年からホームランが倍増しました。(28本塁打)


そして、キャリアハイと言っていい2005年。

この年からは守備の負担を軽減するためサードにコンバートされ、

(セカンドでは、足の遅さからくる守備範囲の狭さも目立っていました)

勝負強さを買われ5番を打つように。

そして脅威の147打点で優勝に貢献。

数字が示す通り、ここぞのチャンスでは必ず打った印象です。

ホントにこの年の今岡は神懸かってましたよ。


しかし、それはあくまで打撃面でのこと。

あまりに打ちまくっていたので目立ちませんでしたが、

この年から守備、とくに送球の不安定さが見え始めました。


それが、もはや今岡の代名詞となってしまっている「バネ指」でした。