贔屓チームの「お乗換え」歴④ | 放浪鴎の「ロッ鉄な日々」

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千葉ロッテマリーンズ、FC町田ゼルビア、鉄道(乗り鉄)が主なブログであります。

夜になってようやく二日酔いも冷めてきたところで第④回です。

この記事の執筆はかなり時間がかかり、結構大変なんですけどね(笑)


前回は阪神ファン時代、2003年に星野政権下でリーグ優勝したところまで書きました。

阪神が岡田監督に変わり、ロッテにボビーが帰ってきた2004年、

ひょんなきっかけからロッテにハマることになります。


<2004年、マリーンズとの出会い>


2004年、ボビーマリーンズが4月に10連敗(でしたっけ?)していたころ、

あっちゃんは調子の上がらない阪神にイライラしていました。

そのころの岡田野球は良くも悪くも選手任せ。

赤星などの「飛び道具」があるにもかかわらず、とにかく動かない。

あっちゃんにはそれが「誰かがホームラン打つだろ」という

読売野球と同じようなものに見えたんですね。


実は数年前からロッテというチーム、とくに応援には多少の興味はもっており、

たまにテレビで試合を見たりはしていました。

ただ町田から千葉マリンは遠く、なかなか足が向かいませんでした。


でも、7月のある週末に甲子園遠征を予定していたのが事情で行けなくなった時に

マリンで西武戦があるのを知り、「甲子園よりは近いんだから、とにかく一回行ってみよう」

って気になったんですね。なぜか(笑)


その試合の先発は高木でした。(長年、お疲れ様でした。)

しかし、一回表にいきなり5失点。二回にも2失点で計7失点。

早々に試合への興味を失ってしまったあっちゃんは、ライトスタンドばかり見ていました。


絶望的な展開にもかかわらず、大きな応援を送るライトスタンド。

人数は決して多くない(←失礼…)にもかかわらず、凄い声量。

また、阪神のメガホン中心の応援に慣れていたあっちゃんには、

メガホンを使わない声と手拍子の応援、

福浦などの「かっとばせ」コールのない応援はとても新鮮でした。


そしてその応援に選手が応え、6回にはベニーの3ランで1点差まで追い上げました。

打った瞬間、思わず両手を上に突き上げてしまいましたね。

その後同点に追いつき、最後は延長の末、大チャンステーマが鳴り響く中、

里崎がサヨナラタイムリーを打ったと記憶しています。


この試合をきっかけに阪神戦とともにロッテ戦もちょくちょく見に行くように。

最初は応援が新鮮でしたが、しばらく通ううちに

ボビーの日替わりオーダーに魅せられていくようになりましたね。

それ以前から「相手の投手や選手の調子によって試合ごとに

ベストオーダーは異なるはず」と思っていたあっちゃん。

ボビーがその長年の疑問を解決してくれているような気になったんですね。


2004年といえば、あの球界再編騒動があった年でもあります。

オリックスと近鉄の合併が発表され、もうひと組の合併として

常に名前が挙がっていたのがロッテでしたよね。

阪神だけ応援していたならば、あの騒動は「対岸の火事」だったと思います。

人気チームファンの驕りとでも言うんでしょうか。

「別に10球団1リーグになっても大して変わんないや」なんて思っていたことでしょう。


しかし、完全なニワカ状態だったとはいえ「ロッテというチームがなくなるかもしれない」

それなりに複雑な思いはありましたよ。とくにあのライトスタンドを見ていると。

そんな流れを一番最初に食い止めてくれたのが阪神でした。

当時の野崎社長が読売以外のセリーグ各球団を説得してくれましたよね。

あれは阪神ファンとして誇りでしたし、読売=ナベツネ(←入力するだけでムカついてきます)

の言いなりにはならない、という意思が感じられました。


結局、もうひと組の合併は回避され、楽天が新規参入という形で

球界再編騒動は一応の幕引きを見ました。

そのシーズン、阪神は序盤とあまりチーム状態が変わらぬまま4位。


一方ロッテは日本ハムとCS争いを繰り広げた末の4位。

西岡、今江といった若い力の台頭がかつて、

阪神がダメ虎から生まれ変わった過程とダブって見えました。

「このチームは絶対に強くなる。」確信めいたものもありました。

同じ4位でもロッテのほうに大きな魅力を感じましたよ。


しかし、そのわずか1年後に優勝するなどとはさすがに思っていませんでしたが。





以上で第④回は終わりです。

次回は2005年、兼任から現在のロッテ一筋に変わる過程の話になります。多分。