哭くと鳴く

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 漢字は文字として、表音、表意、表形の三つの機能を持っていると言われています。しかし教育漢字や常用漢字などを決めるために、漢字を制限し表音を重要視したため可笑しなことになったようです。

 私の職業は、犬や猫を診療するいわゆる町の獣医師です。犬が声をだしているときの表現で一番違和感があるのが「犬が鳴く」です。「犬がなく」ときは、「哭く」という漢字がぴったりします。一般的な書物はもちろん、われわれの分野のほとんどの専門書でも「犬が鳴く」となっています。残念なことです。私には「犬が鳴く」とはとても書けません。犬は鳥ではないからです。犬がなくのですから犬を使った哭くという字がぴったりきます。気持ちが落ち着きます。

 犬が声をだしていることを表現する漢字に「吠える」があります。犬のそばに口がひとつあります。口がふたつある哭く方がうるさそうです。漢字が届けるイメージの力だと思います。

 このブログで、私は吠えると哭くを使い分けています。

「吠える」は意識がはっきりしていて何かを要求したり訴えたいとき。例えば、怪しい人が近づたり嫌いな車の音に対して、警告したり仲間に警戒をよびかけるときの声です。時には、「おやつが欲しい」と飼い主に要求するときの声も吠えている声です。

 一方、夜哭きのように尋常と思えないような声を出しているときは意識が障害していますので、「哭いている声」です。制止しても哭き止みません。麻酔からスムーズに醒めないときも同じような声を出します。頭が朦朧としているからです。

 

 このような問題はあちこちでみられます。よく話題になる「障碍者」も同じです。常用漢字を守るならば「障害者」になってしまいます。障害と障碍では意味がまったく違います。新聞などマスコミが「障がい者」とよくわからない言葉を使うのはそのためでしょう。

おそらく多くの人が自分の生活に密接な言葉で、変な漢字が使われる理不尽を感じていることでしょう。それを大きな問題ではないと考える人は、自らの文化を大事にしているとはとても思えません。

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