松任谷由美さんの「星のクライマー」という曲を知っていますか?

 

 冒険家の植村直己さん(故人)を歌った曲です。

 

 

 植村さんは、今でこそ国民的英雄として名前を残されていますが、様々な冒険を次々とやりとげていく過程というのは、まったく評価されませんでした。

 

 それでも、自分の中で「価値がある」と感じる冒険を自分で計画し、自分で成し遂げるという作業を何度も続けてきた人です。

 

 

 最初、植村さんの成し遂げていたことの価値にだれも気づかず、ご近所では、仕事を転々としては山にでかける、「物好きなおじさん」として有名だったそうです。生活も楽ではなく、植村さんの冒険の価値を認めていた奥様の助けがなければ、継続などできませんでした。

 

 

 だれにも認められなくても、自分の中で「価値がある」と思えることに没頭する。これって、本当に素晴らしいことですよね。そして、それを旦那様に許した奥様というのも、素晴らしい女性だと思います。

 

 この「星のクライマー」は、植村直己さんの「夢」とご夫婦の「愛」を歌った曲です。一度聴いてみてください。お奨めです。

 

 

 

松任谷由美さんの「卒業写真」は、私たち夫婦が一番好きな曲です。

 

「人ごみに流されて変わっていくわたしを、あなたは時々、遠くで叱って」という部分が、この歌の最大のメッセージなのではないかと思っています。

 

 

 私の小中高時代の友人は、いくつになっても、再会するたびに「あいかわらずだなあ。全然変わらないなあ」といってくれますが、これは、私にとって最大のほめ言葉なのです。

 

 

 ただ、先日、故郷で行われた同窓会には、少し驚きました。

 

 私は米国にいたために参加できず、様子を伝える写真とビデオが送られてきたのですが、なんか、何人かが、「変わってしまった」という感じなのです。

 

 

 特に、男は、なんかみんな偉そうで・・・・・。(偉そうって言うのは、偉いっていう意味じゃないんです。むしろ、偉くない人が偉く見せようとしていることを「偉そう」って言いますよね)

 

 逆に、女の人は、みんないいおばちゃんになった感じで。みんな「偉そう」ではないんですよね。みんな自然な感じで、笑顔で談笑していました。

 

 僕がいいたいのは、こういうことです。

 

 別に、偉くなってようが、偉くなっていまいが、どっちでもいいんです。同窓会っていうのは、昔のままの友達同士の関係でお話をしたいから来ているんじゃないですか。そこに、何か、現在の自分を持ち込もうというのは、何か違和感を感じますね。

 

 人ごみに流されて、変わっていく「この人たち」を遠くで叱りたいです。男って、情けない生き物ですよね。

 

 もう6年ぐらいも前になるでしょうか? 東京ドームで面白い場面に出くわしました。

 

巨人戦の試合前の練習が行われている時間、巨人ベンチの上に大段幕を掲げて松井選手(現ヤンキース)を応援しているおっちゃんがいました。

 

 巨人の帽子をかぶって、ベンチの上で大騒ぎして、「松井君、サインしてください。君のふるさとのネガミ町から来ました!」と叫んでいました。

 

 松井選手がベンチを行き来するたびに、「サインくれ! 故郷からわざわざきたんや!」と声をかけるのですが、なぜか、松井選手は無視していました。

 

 「これではあまりにもひどい。人柄のいい松井選手らしくない」。ということで私、松井選手に耳打ちしました。

 

 「せっかく、故郷から来てくれたんだから、サインぐらいしてあげたら?」

 

松井選手が、珍しくムッとした表情でこう答えました。「僕の故郷は根上町と書いて、ネアガリ町と読みます」。

 

 

 巨人帽のおっちゃん。努力はかうけど、ウソはいけません! 松井選手、怒ってましたよ。

 

 

 我が家では、子供がはいはいを始めたころに、ジャングルジムを買いました。6000円ぐらいだったかな。

 

家が狭いので、大変でしたが、効果は抜群でした。

 

 腕の力が強くなったし、滑り台もついていたため、バランス感覚もよくなりました。

 

 我が家では私がなで肩で妻は筋肉質なんですが、子供はふたりとも、筋肉質になりました。

 

 

 幼稚園に入った時に、登り棒をするする上ったら、他のお母様方に驚かれました。

 

 手の力が強いと、転んだり、いろいろな場面でけがをしづらくなるようで、子供の頃からあまりけがをしませんでした。

私、人生のクライマックスで信じられない失敗をしました。

 

結婚式。神前でやったのですが、初めてだったもので、(普通はそうか)

 

事件は、三三九度の場面で起こりました。

 

神主さんの前に並んで立っている私と新妻の前に、お盆に載せた杯を運んだ神子さんが来たのです。若くて可愛い女の子でした。

 

彼女は、私に向かって、「どうぞ」とその杯を差し出したのです。

 

 ところが、私はその言葉に動転してしまいました。なんせ初めてだったので・・・・・。杯ではなく、お盆ごと受け取ろうとしてしまったのです。

 

 

 神子さんは、小さな声で「違う、違う」と言いますが、何のことかわからない私は、力を込めて奪い取ろうとします。隣の新妻が、小さな声で「さかずき、さかずき」と横から助け船を出した時、初めて失敗を悟りました。

 

 もう、それ以降のことは恥ずかしくて何も覚えていません。

 

 あのビデオは、我が家では封印されていますが、多分私のいないところで、両家の両親が楽しんでいることでしょう。

私、集中力がありすぎるんです。家族にもよく言われます。

 

こうやって文章を書いたり、考え事をしていたりすると、周囲で起きていることにまったく注意が行きません。

 

子供が学校から帰ってきても、家内が後ろで掃除機をかけていても、電話がなっていても気づかないほどです。

 

 子供の頃から、集中すると、誰もとめられないようなところがありまして・・・。

 

 あれは、就職して独り暮らしをしているころでした。自炊しなければいけないので、よく、スーパーに買い物に出かけていました。スーパーの買い物というのは、僕にとっては楽しくないことなので、いつも考え事をしながら、かごの中に商品を放り込んでいました。

 

 

 ある日、買い物をしていたはずの自分が、交差点で商品がたくさん入ったカゴ(お店の黄色いプラスティックの)を下げて、交差点に立っていることに気づきました。無意識のうちに買い物を終え、そのまま、プラスティックのカゴごともって出てきてしまったのです。

 

 周囲の人々がじろじろみていました。

 

 私は、「無意識のうちに、万引きしてしまったのではないか?」と不安になって、店に引き返しました。

 

 お店の人に、「ごめんなさい、カゴごと持って帰りそうになりました。ところで、僕はお金は払いましたか?」ときくと「何言ってるの? さっき払っていったじゃないの。ほれ、袋も」との返事。袋は確かに一番上にかぶさっていました。

 

無意識でお金を払って、レジを通過してたんですね。

 

 私は、この経験を3回もしています。

本日、ある場所で記者会見がありまして、入り口で入室許可証を受けて入りました。

 

 ここで、事件が一件。日本の他紙のカメラマンが、「きょうは、写真を撮った後に記事もかかなければならない。それなのに、写真をとるための許可証がもらえない」と泣きそうな顔をしていました。彼は、英語ができないのです。

  「それなら、一緒に来なさい」といって、広報担当のところに行って、かわりに説明してあげました。

 「彼はこの許可証を得た。でも、これは彼にとって十分ではない。なぜかというと、彼は今日は、写真をとって、記事も書かなければならないからだ。この許可証は明らかに記事を書く人用だ。写真を撮るための許可証もくれないか?」と。

 そういうと、広報担当はすぐに理解して、許可証を作り直してくれました。

  面白かったのは、そのカメラマンが「簡単な英語なのに通じましたね。でも、僕にはまねできない」と驚いていたことです。

 

 「自分は英語で言いたいことが言えない」と悩んでいる人の多くは、自分が言いたいことを考える時、英語の文章を「複文」で考えていることが多いです。

 

 例えば、今回の場合だと「この許可証をもらったが、私は記者ではなくカメラマンも兼ねているので、写真も撮れるような許可証をくれないか」という具合に、一文で言いたいことを言おうとするのです。

 

 でも、言いたいことが複数ある時に、一文で言おうとすると、たいていは失敗します。話している相手があなたの言いたいことの中心わからなくなってしまうからです。

 

 それを防ぐには、まず、文章を切り離すこと。その上で、BUTやSO BECAUSE などを使って文章をつなげていけば、意図が伝わります。

 

 最初にやるのは問題点を説明することですよね。この場合だと「許可証を得たが、これは十分ではない」ということですね。相手は「WHY?」と理由を聞いてくるはずです。

 

 次に、その理由を説明すること。「なぜならば」という言葉を使って、それを言います。

 

 最後に、全体を説明した上でもう一度要求を言い、言いたいことを強調する。「写真を撮る許可証もくれないか?」と。

 

 こうすると理解してもらえます。

 

 もちろん、英語が上達してきたら、もっとシンプルに格好良く説明できるのでしょうが、それができない以上、自分の英語力の範囲内で分かるように説明するしかないですよね。

 

 

 シカゴからミネソタに飛行機移動があったので、空港ロビーと飛行機の中で、櫻井よしこさんが書いた「何があっても大丈夫」を読みました。

 

 

 父親が出奔してから、櫻井さんとお母さん、お兄さんが過ごされた経験をつづられた本で、読めば読むほど生きる力が沸いてきます。

 

 どんな追いつめられた状況でも、前向きに行き、人生のすばらしさを感じられてきた櫻井さんの生き様は、参考になりますよ。

 

 

 子育てで疲れた若いおかあさんに是非読んで欲しいです。