プーチンはいつでも銃を撃てるように歩く
プーチンの歩き方が、常人とは大きく異なることをご存じだろうか。右腕の振りが、左腕の振りよりも明らかに小さいのだ。昨年末、この謎についてオランダの大学教授が分析したところ、衝撃の事実が判明する。なんとプーチンの歩き方は、KGBの工作員時代に徹底して叩き込まれた“銃を素早く抜くための”歩き方だったのだ。
この「スパイ歩き」とでもいうべき歩行法は、かつてKGBが実際に用いた訓練マニュアルに掲載されており、多数の元工作員たちが同様の歩き方を続けていることも確認されている。要するにプーチンは、ロシアの最高権力者となった現在に至っても「自らの身は自ら守る」という意識を持ち、日々実践している。これは翻って、彼が決して誰にも心を許してはいないことを意味しているのだ。
事の発端は、クレムリンの改修工事に伴う大掛かりな収賄事件だった。エリツィン大統領と娘たちが、スイスの建築会社から自由に使えるクレジットカードを渡されたという疑惑をはじめ、ロシア高官たちのマネーロンダリングが取り沙汰された。検事総長のスクラートフが事件を厳しく追求していたが、当時FSB(連邦保安局・KGBの後継機関)長官だったプーチンは、スクラートフが売春婦と興じる盗撮ビデオを公にして、彼を失脚させることに成功した。
プリマコフ首相によるエリツィン追い落とし工作も未然に防いだプーチンは、1999年8月、エリツインから首相に任命される。就任直後、ロシア各地で起きたアパート爆破事件への報復措置として、素早くチェチェンへの軍事攻撃を開始したことが、ロシア人の愛国心を揺さぶった。エリツィンと近しい新興財閥のベレゾフスキーが、自らの所有するロシア公共テレビの人気コメンテーターであるドレンコを動員し、キャンペーンを行ったことなども効を奏し、国民の間でのプーチンの支持率が高まっていった。
(ミハイル・トレパシキン氏)「アパート爆破事件はFSBの秘密諜報員によって実施されました。というのも、すべての痕跡が彼らにつながるものだったからです。指示を出せるのはただ一人、リーダーだけです。彼がすべてをコントロールしているからです。」
アパート爆破事件は、プーチン氏の指示による“FSBの自作自演”だというのです。これが事実なら、チェチェン侵攻の口実作りのために多くの国民が殺害されたことになります。
当時、遺族側の弁護士としてこの事件を調査していたトレパシキン氏によれば…
不発に終わった爆弾からFSBが厳しく管理していたはずの軍用爆薬とみられる「白い粉」が発見されています。