中共の尖閣海域での武器使用自制は無法正当化の暴論虚言だ。 | 「ぶわっ」

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「中国海警局の艦船が沖縄県・尖閣諸島周辺で活動する際、海上保安庁の巡視船や日本漁船に対する武器使用や強制退去を「自制している」と、中国政府が日本政府に伝えていたことが13日、分かった。」(産経新聞) ↓に全文リンクあり。

 いつもながらシナの恩着せがましい悪辣さには呆れます。武器使用を自制している?そんな馬鹿げた通達を受けて日本政府は「感謝する」とでも返事したのだろうか?シナの「自制する」というわざわざ「武器使用」を強調しての通告は後ろめたい海警法の正当化と日本へ尖閣へ近づくなという尖閣領土主権の正当化と日本への脅しである。同時にわざわざ「武器使用の自制」を通告してきたということは「いつでも自制できない事態になる」「その責任は日本にある」という通告でもあり、尖閣海域における中共の武器使用事態が迫っている、いつでも一触即発の事態にあることを通告してきたと受け止めるべきなのである。中共が武器使用を自制していると言ってきたので安心だという見方はむしろ正反対なのだ。尖閣海域での日中の武力衝突は近いと言える。日本政府は尖閣波高しと心得て厳重な緊急国防準備をすべきだ。東京オリンピック、中国武漢新型肺炎病毒の蔓延などで日本政府が尖閣海域での中共の襲撃を防衛しにくい事態になっている今こそ中共にとっては軍事行動のチャンスとなっているのだ。
 
 自制ということばには日本が違法、無法行為をしておりシナが我慢して自制してやっているという日本と正反対の主張を厚かましくも恩着せがましく偽装して表明しているわけだ。シナは古来「文化の国」である。言葉一つにも政治的な深い意味があるのだ。

 まず「文化」という言葉を日本人はどう受け止めているのだろう?

 これは日本の「文化の日」「文化勲章」のような平和的概念に属する意味合いや詩歌、花鳥風月ではない。文化というのはシナでは伝統的な政治概念だ。

 

 まず「文をもって化する」而して「後には武を以て制す」ということだ。

 

 つまり文武両道とは最初に相手を文を以て通告しそれでも従わないと武力行使をするぞということなのだ。相手を文で次には武で攻略する。相手を段階的に制圧し従属させるというシナ古来の覇道なのである。

 元寇のときも最初に鎌倉幕府へ元と通商せよという文書を寄越した。これが文化であり実際は通商ではなく日本へ隷属せよという通告文である。鎌倉幕府は元の意図を見抜いてこの使者を処刑した。後に元寇という武力行使があったことはよく知るところである。
 大げさではなく今回の自制文書は、この元寇の手順と同じ韻を踏んでいると解釈すべきなのだ。けっして軽く見てはいけない。 

 日本政府は「やれやれ安心、話せばわかる」などと勘違いしていそうだがとんでもないことだ。

 今回の自制通告文には「いまは自制しているが日本の出方しだいでは武力使用もありうるので尖閣へ近づくな」という武器使用の正当化を通告している。

 それは当然ながら「自制をしているにも関わらず武器を使用せざるを得ない状況になったのは、すべて日本側に責任がある」という武器使用時における結果責任の免責と日本側への責任転嫁である。

 今回の通告文にはそういう二重三重の意味合いがあると受け止めるべきなのだ。

 日本政府はこういう中共の意図を見抜かないといけない。

「海警法は国際法違反で断じて認めない。無効だ。無法国家といわれたいのか?我が国は違法には武力対処も含めあらゆる手段での排除を当然行うのでその結果の責任はすべて違法、無法行為をしているシナに全面的にある。そういう最悪の事態を招きたくなければシナは尖閣海域における無法行為をいっさいしてはならない」と反論し尖閣へ近寄るなと自制文書を一蹴して、お前たちは違法をやめろと厳命すべきなのだ。
 

中国、海警局の武器使用「自制」 尖閣周辺活動で日本に説明
3/13(土) 21:19配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f75a17ae69d975c466b596d96612d2eee64696d0