日本という国家の「国体」と「政体」について考えてみましょう。 | 「ぶわっ」

「ぶわっ」

世の乱れをぶわっと吹き飛ばすブログをめざします。

●国体とは何か

★国体と政体
国体は、その国特有の国のかたちである。神話や歴史、伝統的価値観、民族文化などの背骨をもち、多くの場合、王政・君主制をともなっている。国体に対応するのが、国土の保持や治世、外交などをうけもつ政体である。政体(権力)は、国体(権威)の認証を得て初めて、権力としての正当性を発揮できるのである。

国体と政体の両方をそなえた先進国家は、日本のほかには、イギリスなどヨーロッパの王政国家があるだけで、立憲君主国家は、国連に加盟している一九二の国のなかで、二十数国にすぎない。フランスやロシア、中国などは、みずから歴史の連続性を断ち、アメリカは、歴史そのものをもたない。その他、多くの国々も、戦争や植民地化などによって、国体を放棄しており、世界の大半は、民主主義を掲げた政体国家である。


★国体と憲法
国体をもたない国家が、国体の代用にするのが、憲法である。政体(政権/権力組織)が、国家の神格的権威である国体の代わりに、権力の正統性を憲法にもとめるのである。だが、権力の都合で変更できる憲法は、国体の代わりにはなりえない。

イギリスが、成文憲法をもたない理由は、王政という国体のなかにくくりこまれているコモン・ロー(不文法)が、制定法(成文法)をこえているからである。国体が、実体だからこそ、歴史の連続性や伝統文化、民族の価値観や習俗をうけついでゆけるのであって、条文にすぎない法律に、国体の神格性をもりこむことはできない。 


★国体と政体の錯誤
日本も、明治政府が大日本帝国憲法を制定するまで、成文憲法をもたなかった。天皇が統べ知ろしめす国体があったので、代用品にすぎない憲法は、いらなかったのである。明治憲法制定の際、伊藤博文は、「わが国体人情に合っていない」として、元老院が作成した草案を廃棄している。

ところがのちに、欧州で憲法調査を終えて帰国した博文は、閣議で、みずから起案した憲草案を示した際、「憲法政治を施行して国体を変換――」と発言して、金子堅太郎から「万世一系の天皇が統べ知ろしめす国体に変換はござらぬ。国体と政体をとりちがえるなかれ」と噛みつかれている。成文憲法を制定すれば、国体が憲法にささえられる形になって、天皇の政治利用という道筋がひらかれる。


★国体の危機
磐石だった日本の国体が、明治憲法が制定されてのち、天皇が軍服を着るという権威(国体)と権力(政体)の合一が生じて、不安定になった。その誤りが、尾を引いて、前大戦後の天皇体制の危機につながったというのが、私見である。

現在もなお、日本の国体は、歴史の連続性や民族の価値観を断ち落としたGHQ憲法の下位におかれている。その歪みが国体の危機となってふりかかってきたのが、小泉政権下における「皇室典範改悪」だった。万世一系(皇位の男系男子継承)の否定という国体変更の企図は、八世紀の道鏡以来の不祥事で、秋篠宮親王に男子(悠仁親王)誕生という神風が吹いて、一応、危機が回避されたものの、再燃が懸念される。  

私は、一日も早く憲法を改正し、皇室典範を憲法の枠外、上位に置くべきであると思っている。天皇=国体というとらえかたは、権威である天皇が、権力である幕府に権力の正統性をあたえる一方、収穫や繁栄、民の幸を祈るという、三位一体の中心におられるところからきている。吉田茂は、かつて、こうのべた。

「日本においては他国におけるがごとき暴虐なる政治とか、あるいは民意を無視した政治のおこなわれたことはないのであり ます。民の心を、心とせられることが、日本の国体であります」 聖徳太子が隋の皇帝に送ったとされる親書に「日の出ずる処、日の没する処」(六〇七年/推古天皇)の文字があり、翌年、遣隋使小野妹子の携えた国書にも「東の天皇、敬みて西の皇帝に曰す」とある。民の幸を祈って、正統性なき権力をみとめないという絶対善を打ち立てた天皇が、一方で、国家の独立と尊厳をまもったのである。


★国体観の再認識
中世の体制は、朝廷のほか、摂関家や大寺社、将軍家や武家集団が、それぞれ支配圏をもつ分権構造で、統一国家の体をなしてはいなかった。にもかかわらず、内戦をへず、天皇を中心に統一されていったのは、国体という意識がはたらいたからである。神国思想や皇国史観(記紀など)、天皇家長論(家族国家)、国家道徳や忠君愛は、その過程からでてきたもので、日本人は、何よりも、国体を信じたのである。
https://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/web/kikou/kikou_28.html
政治評論家 山本峯章

 

 

「国体」「政体」とは何か? 
‐ 国体の中心が分かれば国家が分かる?米・中・仏の比較で読み解く国体と政治 ~情報リテラシー大全「政治

●国体とは、日本人がまとまる秘訣のことだった!
国体を巡る諸思想, 時事
現代にも続く「国体」とは、日本人がまとまる秘訣のことだった!
https://www.kokutaibunka.com/archives/2863



●一言●
 国体とは何か。
 私はたとえていえば「ドーナツの中心の真空である」と考えている。
 ドーナツの真ん中は空洞である。空洞がなければドーナツとはいわない。
 この空洞はドーナツがドーナツであるための求心力である。
 日本は国家を経営する「政体」であるドーナツの中空には求心力の源泉として何があるのか?
 そこには「国体」の中心である天皇が存在している。

 「政体」とは国家の政治制度の実態であってドーナツのリングである。
 これは政治体制、政治権力によって変化する。たとえていえば形も楕円形になったり味覚もチョコレート風味とかさまざまな味になる。
 日本の場合をみての政体そのものは律令国家から武家支配国家また民主主義体制など変化してきた。
 だが日本というドーナツは大東亜戦争の敗戦によっても千切れて分散するとかいうことはなく日本というドーナツは不変である。
 それは天皇がドーナツの中心の真空に厳然として存在するという国体が存続しているからである。
 天皇には政体的存在として欠かせない戸籍も姓もない。天皇は万世一系の非政体存在として日本創国以来変わることなく日本国を統治してきたのである。

 

 そのため当然のことだが天皇は政体の最高権力者ではない。

 天皇は政体を超越した国体すなわち日本国という国家の家元そのものである。
 GHQの占領下にでっち上げられた日本国憲法により天皇は日本国の象徴だの言われているがとんでもない話である。
 政体の最高法規と言われる憲法が国体そのものである天皇を政体の一部として規定することなどありえない。
 日本国憲法の言うところの象徴天皇なぞ日本の国体をまったく無視した唾棄すべき馬鹿げた言い草である。天皇が憲法に記載されるのは明治維新後の「大日本帝国憲法」以降のことである。天皇を中心とした日本という国のなりたち国の形というものは廃絶や変更のできる「法律」とは関係なく存在してきた。このおのずからなる日本の国体というものがまずあることを忘れては日本民族の存在は輝きを失うだろう。
 日本は政体のいかんに関わらず日本という国家の中心には天皇が存在している。しかもこの日本の国体は無風であったわけではない。日本の民も時々の政治権力も天皇を中心としてまとまった日本の国体を主体的に支え続けてきたのである。
 これが日本民族の連綿として維持してきた国体であり国家の姿なのである。