【鬼畜朝鮮人】③日本漁船を銃撃し船と漁具を没収。さらに罰金判決。これは強盗犯罪だ。 | 「ぶわっ」

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【鬼畜朝鮮人】③日本漁船を銃撃し船と漁具を没収。さらに罰金判決。これは強盗犯罪だ。  
15-衆-水産・法務委員会連合審…-1号 昭和28年02月21日
 (日本遠洋底びき網漁業協会常務理事)    加藤喜八郎氏(参考人)

加藤喜八郎氏(参考人)の発言 前回の続き 
 遠洋底びきの第五七福丸という船が、八月の十四日に、二五四区――済州島の東の方になりますが、そこで陸から三十五マイルの所に底びきをやつておつたのでありまするが、そのときに韓国の艦艇が参りましてつかまえて、それをひつぱつて牛島の二マイル半ばかりのところに連れて参りまして、お前はきのうここにおつたじやないか、きのうここにおつたのはお前の船だろうというので、そのまま連れて行きまして、強制的に自認書を書かせ、これを領海侵犯なりとして、船は没収、船長は懲役ニ箇月、罰金五万円とかいう判決を下されまして、船長と機関長二人が懲役ニ箇月なのでありますが、機関長が病気をしたので、船長だけではかわいそうだから、お前もこれでいいから帰れといつて追い帰されております。]
 
 何も現行犯じやないのであります。
 それと前後しまして数隻の船が、あるいは射撃を受け、あるいは探照燈で照されましてみな追い帰されております。九月十二日になりますると、やはり二五四区でありますが、そこで第二十八海鳳丸、これは米式きんちやく網であります。それから同日やはり第二松寿丸、これは長崎の普通のきんちやく網、この二隻が二五四区で拿捕されておりまして、陸から数マイル離れておるそうでありますが、何か領海におるというようようなことでひつぱつて行つて、領海侵犯というので起訴をいたしまして、起訴の事由は少し領海侵犯があやしくなつたので、ごまかしてほかの判決になつておりまするが、やはり同様に船は汲収、責任者は懲役ということになつております。この海鳳丸につきましては、本日参考人が見えておりまするから、詳しくお話をお聞きとり願いたいと思います。
 
 そうしてこの間いろいろな事件が起つておるうちに、九月二十七日に、今度はいわゆる国連ラインなるものが設定されたのであります。その当時、朝鮮のある新聞のごときは、李承晩ラインを宣言したけれども、これはものにならなかつた。今度国連ラインをつくつてもらつたことは、われわれ朝鮮漁業者の勝利であるというような通信も入つておるぐらいであります。
 
 われわれ業者としては、この国連ラインの設定につきましては何か割切れぬ気持があつた次第であります。続いて十月上旬には捕獲審判令というものを出し、同じく引続いて漁業資源保護法というようなものを出しております。そして李承晩ラインの中に入つたものは、この捕獲審判令によつて処置するというようなことをやつているようであります。われわれはそういうことは一向おかまいなしで、とんちやくはしておりませんけれども、事実ひんぴんとしてこの前後に約十隻近い船が済州島周辺で発砲され、あるいは威嚇されております。
 
 十二月十三日に入りますと、十七、十八日進丸という、底びきでありますが、二四三区と二四二区の間で韓国の民船によつて包囲されて、そうして欲知島の辺へ連れて行きまして、そうして統営の方に移され、三十五日目にようやく脱出して帰つて来た。
 
 この間外務省も非常によくやつていただきまして、米国大使館を通じ、国連からもやつていただきまして、幸いにこの船のごときは、二四二区と三区の境であつたということが――ほかの逃げた船がどんどん無電を打つて来ましたから、その無電をいち早く関係当局に出して、こういう傍証もあるのだからというようなわけで、これも国連のあつせんによつて――本人は逃げて来ておりますけれども、国連が相当に圧力を加えて逃がしたような形跡がうかがわれるので、これはわれわれは感謝いたしております。
 
 それから十二月に入りますと、二十三日に戸畑港を出港しまして、二十七日に対島の竹敷に寄つて、その後杳として知れない船が一隻あつたのであります。日繁丸という船であります。これは私らの遠洋底びきの所属の船でありますけれども、例外的の四十トンの小さい船でありますので、届も非常に遅れましたしいたしましたが、その後海上保安庁かどこかの情報によりまして、南鮮の馬山に抑留されておるということがわかつておつたのであります。それでこれは乗組員九名がそのまま馬山におりますので、これは外務省からすでに外交措置をとつてもらつております。公文はすでに韓国と国連両方に出ているそうであります。ところが、この船から突然きのうの夕方連絡がありまして、その内容を見ますと、二月五日に、ライン侵犯――どのラインかわかりませんが、侵犯によつて乗組員九名がおのおの百万円ずつの罰金を申し渡されたという手紙であります。
 
 それは船長が自分の家の留守家族の妻君あてに出した手紙でありますので、長くなりまするけれども一応読んでみます。封筒の上書きは二月九日の馬山局消印であります。日本山口県徳山市大字馬島、石丸ソノ宛、これは船長の妻女であります。差出人は大韓民国慶尚南通馬山市午東洞一〇七番地、船員一同代表船長石丸太兵衛という手紙でありまして、原文のままであります。
 
 「前略御面下さい船員一同の御宅の皆々様には御変りなく御健康の御事と御伺い申ます私等一同無事にて漁業せしも昭和二十七年十二月二十九日午後六時頃」対馬に寄つた翌日と思いますが、「ライン線内と思ふ処に」このラインも手紙でははつきりいたしません。「碇泊せしも明る三十日午前二時頃馬山税関警備船来りライン七ン外であるとの事にて馬山に引かれ今日に至りました二月五日裁判の結果ラインセン一浬で、いる事に決定なりました」どのラインにいたしましても、ライン一浬ならこれは当然公海であります。「其(ツミ)にて漁獲物及び漁具一切船と共に没収となり其上に船員一人に付き百万円九人で九百万円の罰金刑を言渡しになりました此の金を納めなくては二月五日後向百日間の受刑となります今金がないから受刑して居ります此の金は韓国の金にして日本の金の参拾倍位であります刑務所内に居れば一日一人に付き壱万円九人で九万円づつ納める事になります送金が出来る時は送金する日より二月五日までの日数一日九万円を差引して送金して下さい右の通りを船員一同の宅へも石田さんの方へも相談して福岡の方へも宜敷く万事御願して下さい此の書面受取次第返事下さい送金出来得る時は前以て御しらせ下さい右の通り御通知申上げます。船員一同の御宅の皆々様代表石丸ソノ様」
 こういうような悲惨な手紙がきのう夕方参つたのであります。それから、これは遠洋底びきの協会の支部からの話でありますが、附記でありますが、「日繁丸が米軍機の遭難を救助したことがあり、その時の乗組員の一人が現在は下船して郷里徳山市馬島で漁業に従事しているのが、石丸妻女から日繁丸の話を聞き、此の二十三日の月曜に佐世係海上保安部へ出頭し救助方を陳情する旨の附記がありましたから書き添へます。」
 こういうような気の毒なものもありまするので、これはぜひひとつ外務省あたりから強力にやつていただきたいと思います。これは船員が九人であります。これは一月の事件であります。
 
★加藤氏証言を読んでのひとことの感想★
 なぜ韓国のまともな船もない朝鮮人漁民が日本漁船を勝手に捕まえて連行し船を略奪し漁具も盗み取るという無法の強盗行為がまかり通っていたのか?それは日本には軍隊がなく戦争を放棄するという憲法9条があったからである。韓国にはみすぼらしいものであってもふつうに戦争できる軍隊がある。軍事力を背景に韓国警備艇が銃撃しまくって日本漁船を拿捕していた。民間漁船でさえ勝手に武装して日本漁船を襲っていた。それを韓国政府は黙認していた。まさに韓国というのは国家ぐるみのならずもので朝鮮人暴力団そのものであった。
 この違いである。いざとなれば武装した日本海軍が出てくるという状況ならばこんな無残な状況にはなっていなかった。日本に武力がないということ仮に軍隊があっても憲法9条で交戦権を放棄してということがいかに無残で悲惨なことであるかを痛感せざるをえない。腰抜け朝鮮人は日本に武力があれば手出しはできないのである。日本が武装解除され無抵抗の状態を見て銃撃をしてきている。まことに卑劣な腰抜け連中である。
 李承晩は日本に軍事力がないということを見透かして竹島を武力で強奪し日本漁船をやりたい放題で銃撃して略奪していたのである。

 GHQは日本から武力と交戦権を奪った植民地憲法を押し付けて得意になっていたがそんなありえない馬鹿なことをした報いがすぐにやってきた。GHQの尻に火がつくことになる。朝鮮戦争が始まったのだ。1950年(昭和25年)6月25日の開戦後わずか二ヶ月後にGHQはあわてて日本の再軍備を命令し8月に警察予備隊が7万5000人規模で発足した。その後保安隊法により保安隊となったあと1954年(昭和29年)自衛隊法が発令され自衛隊となった。李承晩ラインによる日本漁船拿捕が相次ぐ中で自衛隊が発足している。
 すでに1948年(昭和23年)に海上保安庁が発足し海保の警備艇が運用されていたが韓国海軍との銃撃戦はできない。なぜなら日本では日本国憲法が昭和21年11月3日に公布され昭和22年5月3日に施行されていたからだ。
 
 次の事件が当時の日本政府の苦悩をよく表している。
 1953年(昭和28年)7月14日海上保安庁の巡視船「へくら」が竹島へ航行し朝鮮人漁民が40人(警察官7人)が漁をしているのを発見し監視していたところ韓国警官が「ここは韓国領土だ」と通告。海保はその言い分を否定し「竹島は日本領土だ」と通告した。本来ここで不法に竹島へ上陸した韓国朝鮮人を海保の巡視艇は現行犯逮捕すべきだがそれをしていない。海保巡視艇は竹島を一周して帰ろうとしたとき突然韓国船がこともあろうに自動小銃二丁で巡視船を銃撃してきたのである。
 海保はそれでも自重し応戦せず引き上げた。のち外務省が厳重抗議した。こんな抗議が通用するはずもなく韓国の無法な兇行は続いたのである。
 https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/takeshima/detail/t1953071400602.html
 「竹島資料ポータルサイト」
 
 なぜ海保はそんな弱腰だったのか。その理由の一端が当時の日本政府の判断にあった。下部にその当時の政府内部での通達資料をもとに解説したサイトからの引用をしておくので後で読んでもらいたい。ただ日本政府のこうした「弱腰」「事なかれ主義」がますます韓国政府と朝鮮人をつけあがらせる結果になったことは間違いない。朝鮮人の悪行はその場その場で摘発し再起不能なまでに叩きのめさないとダメなのである。


 理性も常識も欠落した恨日カルト教団の恨日信者である朝鮮人には言葉は通用しないと考えるべきである。驚くべきことに日本漁民を銃撃し殺害した国際犯罪を犯した朝鮮人に韓国政府はなんの処罰も与えていなのである。それどころか拿捕した日本漁船と漁具や魚はみな朝鮮人漁民のものとなったのである。これはまさに泥棒強盗であり海賊行為そのものである。韓国政府は日本人を殺して物品を奪っても構わないと国民に公告していることと同じことなのである。まさかそんなことが・・・・・と思うなかれ。これが朝鮮人というものであり朝鮮人国家なのである。北朝鮮の国民を見殺しにしている冷酷な金豚独裁の惨状は日本人はよく報道を通して見知っているだろう。だがそれは韓国朝鮮人もまったく同一なのである。その凶暴凶悪にして低劣極悪な朝鮮人の民族性を決して忘れてはならないのである。

 海上保安庁の巡視船にさえ銃撃している無法で凶暴な朝鮮人に対して無抵抗の漁民が銃撃され殺害されても泣き寝入りするしかない状況だった。
 したがって仮にその当時に日本に軍隊があっても武力行使はできない。日本漁船が拿捕され銃撃され漁民が殺害される現場に日本海軍の軍艦がいたとしても法律的に武力行使はできず韓国船を攻撃できないのである。憲法第9条によって交戦権が認められていないからである。いまもなお憲法9条があるかぎり同じ状況なのである。
 「憲法9条があるから日本の平和は守られた」などという国会議員の発言がいかに馬鹿げた嘘であるかがわかるだろう。憲法9条はあったが日本の漁師は李承晩ラインを口実に朝鮮人に銃撃されて殺されて重症を負い財産の船も漁具も獲った魚も奪われさらに長期間拉致監禁虐待され餓死しているではないか。このどこが「平和が守られた」ことになるのか!
 李承晩ラインで被害にあった漁民の立場になって考えてみるがいい。韓国政府の謝罪と賠償もないまま被害者の救済はなくいまだにその被害者家族の傷跡は癒えてはいないのである。
 日本国憲法を改正すべきというのは抽象的な議論ではない。軍隊の有無は日本人の生命に直接関わるのだ。それはこの昭和27年の国会での議事録での証言を読めばよくよくわかるのである。
 北朝鮮による日本人拉致は決して許すことのできない極悪犯罪である。では犯罪国家は北朝鮮だけなのか?悪辣なのは北朝鮮の朝鮮人だけなのか?韓流ドラマを大好きな人もいるだろうが韓国朝鮮人はそれでは善良な朝鮮人なのか?とんでもない。李承晩ラインを不法に設定した韓国朝鮮人は北朝鮮以上に日本人漁民を銃撃して殺害し、拉致し漁船、漁具を略奪し漁民を拘束し虐待したのである。
 朝鮮人に国籍の区別はなく朝鮮民族は朝鮮民族なのである。南北ともにまた在日朝鮮人も含めて朝鮮人のやることはみな同じなのである。
 日本漁船と漁民への韓国朝鮮人による殺傷と略奪、拉致虐待という史上類をみない韓国の国家による強盗人権犯罪さらには我が国領土である竹島の略奪。ともにこれは憲法9条があったがゆえのそして日本にふつうの軍隊がなかったがゆえの悲劇なのである。

連載②終了


●参考情報●竹島の1953年韓国人上陸 海保、外交配慮し逮捕せず
 日韓が領有権を主張する島根県の竹島を巡り、韓国の実効支配が始まったとされる1953(昭和28)年夏の海上保安庁の対応を記した内部文書の一部を、兵庫県の元公立高校教諭の男性がこのほど出版した著書で公表した。文書は、上陸が確認された韓国の漁民に対し、国交正常化交渉中などを理由に逮捕せず退去勧告にとどめた経緯などを記載。海保が非公開とする通達にも触れており、専門家は「日本が韓国の強行策を許した当初の状況がうかがえる貴重な資料」とする。(安藤文暁)

 文書は元高校教諭で島根県竹島問題研究会委員の藤井賢二さん(62)が約20年前、政府関係者が持っていた原本を複写したという。「昭和二十九年九月 だ捕事件とその対策 (秘)海上保安庁警備救難部公安課」と題した冊子で、53年5月に韓国人の上陸を確認し、国としての対応が協議された前後の状況を記す。

 文書によると、海保は上陸を法令違反とみて「(放置は)わが国の立場を不利にする虞(おそれ)がある」と判断していた。ただ、第8管区海上保安本部(8管)に取り締まり方針を伝えた同年6月17日通達に触れて「紛争はできるだけ避けることにした」とする。

 理由は「日韓会談開催中」に加え、逮捕の報復措置として「艦艇派遣による実力の行使あるいは朝鮮海域出漁中の日本漁船のだ捕等が予想される」と記載。53年2月には韓国・済州島(チェジュド)付近で日本漁船が捕らえられ、乗員1人が死亡していた。

 結果的に8管は退去勧告したが、韓国側が巡視船に発砲するなどして抵抗。藤井さんは、日本の対応を知った韓国が竹島問題への強硬措置を国会決議し、占拠に至ったと分析する。

 海保によると、文書は内部に現存していないが、通達は保管している。ただ、「他国との交渉上不利益を被るおそれがある」などとして非公開にしている。

 日韓問題に詳しい神戸大大学院の木村幹教授(比較政治学)は「当時は自衛隊もなく、米国が朝鮮戦争で支援する韓国に対して日本は強い姿勢を打ち出せず、実効支配を許してしまった。文書は当時の状況が分かる重要な資料だ」とする。

 藤井さんの著書は「竹島問題の起原 戦後日韓海洋紛争史」(ミネルヴァ書房・4104円)。

【竹島】島根県隠岐諸島の北西約158キロの日本海にある岩島。日本は江戸時代に漁などを行い、1905年の閣議決定で同県に編入した。太平洋戦争後のサンフランシスコ講和条約でも日本領として残ったと主張する。韓国は52年に設定した「李承晩(イ・スンマン)ライン」内に取り込み、警備隊を常駐させている。韓国名は独島(トクト)。2012年に李明博(イ・ミョンバク)氏が現職大統領(当時)として初めて上陸し、日韓関係が冷え込んだ。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201805/0011240978.shtml
「神戸新聞」