”左翼とISISの違いは無い” | 「ぶわっ」

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世の乱れをぶわっと吹き飛ばすブログをめざします。

アメリカでトランプ辞めろ!人種差別するな!と叫んでいる人種差別反対派の人々の行いがテレビで放映されていました。

どこかで見た光景です。

人種差別反対の人々の常識とは「憎悪と暴力」で凝り固まっているのかもしれません。

 


 

 

ついでに朝鮮人の行動パターンも見てみましょう。

昔も今も朝鮮人は同じです。学習も成長もしていません。

朝鮮人は強い者には弱く(=これを事大主義といいます)。

弱いものには強い。弱いものを平気でいじめる。

いまだに朝鮮人の男は女性蔑視があたりまえで家庭内では妻を殴りつけて平気です。

男が女を日常的に殴りつけるという恐るべきDV社会が朝鮮人社会です。

精神的弱者を騙して拉致し隔離して塩田などで奴隷労働させる。

いまだにこういう奴隷や人身売買が跡を絶たないのが朝鮮人社会です。

男はレイプ、女は売春、性犯罪多発社会が朝鮮人社会です。

国内で売春取締が厳しくなれば女は海外遠征売春に走り日本にも不法滞在朝鮮人売春婦がうじゃうじゃいます。

道徳もモラルもへったくれもありません。

親にとって弱い立場の娘を金のために人身売買する。

親に人身売買された女が戦時売春をして金を稼ぎ親に莫大な送金をしていました。

それが年老いた元売春婦は「日本軍の被害者ニダ」として慰安婦詐欺をやって国から慰安婦年金やら日本から意味不明の見舞金など金稼ぎに執着して「日本は心から謝罪するニダ。安倍出てこい。もっと金出すニダ。国家補償するニダ!」と恨日活動で飯を喰う「ニダの虚塔」のヒロインとなり嘘をつきまくっています。

人道的立場で真実を明かそうとしない日本が弱いと思いこんでいるんですね。

日本はそろそろ「平和の少女像」は真っ赤なウソで「慰安婦詐欺少女像」「人身売買少女像」だと世界へ事実を教えて上げるべきでしょう。

南鮮が少女像をつくればつくるほど「売春立国」の南鮮の現実と人身売買奴隷文化さらに国家養成売春婦「キーセン」の過去をもつおぞましい朝鮮人の女性蔑視の歴史と劣化した人間性を世界が認識していくように情報発信していくべきでしょう。

アメリカ軍の傭兵としてベトナムへ武器を持って盛り込んだら無抵抗の女性をレイプして残虐に殺害しまくりました。相手が弱いと鬼畜以下の行いを平気でするのが朝鮮人です。

また朝鮮人の性格は臆病で腰抜けです。

朝鮮戦争のときも敵が来たらパニックになって我先に逃げ出したのが通名「韓国軍」でした。

そのときアメリカから支給された最新装備も食料もほっぽり出して逃げまくるのですからアメリカ軍にこっぴどく叱責され韓国軍は実質的に戦力扱いされなかたっと言われます。

敵前逃亡と撤退はまったく違います。

参戦したシナ軍は強くて真夜中に行動します。

韓国軍が野営して寝ている近くにこっそりと接近し突然シナのラッパをピーヒャラーーープオーーーと吹き鳴らすと起きて戦うどころか我先にとパニックになって逃げ出したといいます。

まったく役に立ちません。アホみなたいな腰抜け軍が朝鮮人の軍隊です。

そのくせ行き先々で村の女をみつけてはレイプしまくり苦情が多発。

連合軍は韓国へ命じてUN慰安婦(売春婦)を集めさせ最前線へドラム缶へ売春婦を詰め込んで配給した。これを「第五種補給品」と呼んだ。

韓国兵だけでなく連合軍兵士もこれを利用し村の女性へのレイプは減り村人はUN慰安婦を歓迎し親切に接したという。

どうしようもない欠陥品のような朝鮮人の見本が朝鮮人兵士です。

いまも南鮮朝鮮人の軍隊の駐屯地ではセクハラや性犯罪が多発しているということです。

http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-54.html

朝鮮人の歴史と人間性がよくわかるブログです。

室町時代に対馬を襲撃した「応永の外寇」の詳細が書かれています。

朝鮮人兵士は1万7000人ほどで圧倒的に有利だったが600人の駆り集めた対馬兵(主力不在)に大惨敗し逃げ帰ったという史実があります。

 

 

 

 

●参考情報●

韓国軍慰安婦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
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韓国軍慰安婦(かんこくぐんいあんふ)、または大韓民国軍慰安婦 (だいかんみんこくぐんいあんふ、朝鮮語: 한국군위안부、대한민국군위안부英語: Korean Military Comfort Women[1])とは、大日本帝国大東亜戦争で無条件降伏した後における韓国軍と在韓米軍国連軍を相手にした慰安婦

 

日報1961年9月14日

韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、朝鮮戦争中は「特殊慰安隊」[5][6][7][8]または「第5種補給品」とも呼ばれた[12]

朝鮮戦争後は「美軍慰安婦(美軍はアメリカ軍のこと)」[13]国連軍相対慰安婦(UN軍相對慰安婦)」と呼ばれた[14][13]

ほかに「挺身隊정신대)」[15]や国軍挺身隊とも呼ばれた。

韓国では、「慰安婦(위안부)」という言葉は、1980年代までは主に米軍・国連軍慰安婦の事を指しており、日本軍慰安婦はほとんど問題になっていなかった。しかし1990年代に日本との問題が大きくなってからは、「慰安婦」という言葉は、日本軍慰安婦に対して使われるようになり、米軍・国連軍慰安婦に対しては使われなくなった[16]

 

朝鮮戦争と特殊慰安隊[編集]

1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。

朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[13][5][24]

大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[25]。韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していた[5][6]。部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[11]。韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も利用した[11]

韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍韓国駐留時[26]に韓国軍によって強行され、韓国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。

特殊慰安隊[編集]

韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(후방전사)の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられた[27]

韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、組織的体系的に慰安婦制度をつくった[9][28]。金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった[9]。また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[29]。日本人慰安婦も在日米軍基地周辺や朝鮮半島へ連れて行かれたこともあった[30][31]

特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、これは日本軍慰安婦と同様のものであった[9](韓国政府や軍が正式に募集・設置運営している点は日本と異なる)。計画は陸軍本部恤兵監室が行い[9]、1950年7月には韓国政府は軍作戦指揮権を米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[9]。韓国政府・軍は慰安婦に対して「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」したという[32][17]

慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりずつ押し込めてトラックで移送し前線を移動して回り、第五種補給品として韓国軍と共に米兵も利用した[28][11][33][34]

設置時期と場所[編集]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6

wikipediaより。