私は社会不適合を誇る人間が嫌いだ。
嫌いというより 生理的に無理だ。
世の中には負ける人間がいる。
それ自体は仕方がない。
だが、自分の敗北を誇り始める人間だけは理解できない。
昔で言えば不良文化がそうだった。
教師に反抗しただとか、
警察の世話になっただとか。
普通の人間なら黒歴史として封印するような出来事を
なぜか勲章のように首からぶらさげて歩いている。
あの文化の本質は単純で
未熟さを美徳に変換し 敗北を生き様と呼んでいるだけである。
我慢ができなかったり 先を見通せないなどの
本来なら恥じるべき部分を仲間内で褒め合う。
傷の舐め合いにしては随分と規模が大きい。
そこでは理性より威圧感が評価される。
声の大きい人間が偉くなり、
短気な人間が強者扱いされ、
無責任な人間が自由人と呼ばれる。
そんな欠陥が出世する世界だった。
そして時代は変わり
暴力は流行らなくなった。
でも代わりに承認欲求が主役になった。
昔は拳で注目を集めていたが
今はSNSで注目を集めている、
そんな時代だ。
手段が変わっただけで本質は何も変わらない。
トー横に集まる連中がいい例だ。
暴れなくなった代わりに拗ねるようになっただけ。
「社会が悪い」「大人が悪い」「自分を産んだ親が悪い」
だけど自分は変えない、なぜなら自分は被害者だから。
実に現代的な敗北者だ。
彼らはよく「生きづらさ」を語る。
だがその多くは生きづらさではなく
成長痛から逃げ続けた結果に過ぎない。
そんな人生の行き着く先で「誰も助けてくれなかった」などと喚いている。
ずいぶん都合の良い話だ。
昔の不良も今の承認欲求中毒者も本質的には同じで
どの時代にも敗北者の集まる文化が存在する。
負け犬の遠吠えにしては 随分と御長寿な文化だ。