「あのな、人って常に悩んどる生き物やねん、
だから、どうせ悩むんやったら、大きなことで悩んどいたほうがええねん、
やないと、どうでもええ小さなことで悩み出すから。」
そんなことを話している20年らいの前の島田紳助の動画があがってきて・・
言い得て妙だと思った。
究極のところを除けば。
究極のところというのは、スピリチュアルや精神世界で言われる、
本当の望みにのみフォーカスする、とか、
これまでの人生に100%うんざり仕切る(諦める、明らかに見る)、
とかっていう、話になると思うんだけど、
そこのところを話せる経験は僕にはないので割愛する。
先日、トイレが詰まったのね。
大便器のほうで、用を足した後、しかも夜。
うわ~、最悪・・って思った。
こうなるのは2年ぶりくらいかな、不幸中の幸い、溢れはしなかったけど、
詰まりを解消するためのスッポン、ってかラバーカップって言うやね、
あれが屋外に置いてあって、僕の目では取りに行くのが困難・・
まぁ、明日、明るくなってからじゃないと無理か・・と、
その日の作業は諦めたけど、ちょっと、
いや、まぁまぁの憂鬱とイライラ・・、
明日、付近を汚すことなく貫通させられるだろうか、という不安に見舞われて・・。
で、自分でも思ったのよ、
たかがこんなことで、ここまで気分、落ちるのか・・と。
で、思い出した。
僕はこのトイレの詰まり解消作業は、
人並み以上にやっていて・・まぁ、なんならプロだったと言ってもいいのかな。
というのも、土木技師として採用された市役所の1年目の部署が、
道路や公園の管理業務部署で・・
「公園のトイレが詰まった」って連絡を受けたら、
先輩職員の運転で現場に行って・・
一般的なスッポンよりワンランク上のピストル型のスッポンで貫通させる・・
ってことを10回はやったな。
車に轢かれて内臓の飛び出た猫を拾いに行ったことなんかもあったし。
でも、なんとも思わなかったというか、
出来の悪い僕でも役に立ててる、という喜びというのか、
少なくとも、それらの作業に「イヤ」って感覚は全くなかったな。
それよりも遥かに嫌だったことが、
現場に出ずに事務所内で、
激怒した市民からの電話を取ることや、
ややこしい要望苦情の電話を取ること。
道路や公園に関する苦情要望を受ける部署だったから、
そうした類のことはしょっちゅうで、
新人だった僕は一番、電話を取ることが多くて。
そうした対応がまずくて、さらに相手を怒らせたり、
上司に対応してもらうしかなくなったりで、
怖いのに加えて、自分の出来なさぶりからの自己卑下も酷くてね。
そっちが圧倒的にでかい悩み、苦しみだった。
そう、あの頃の僕は、「トイレが詰まった」なんてことより、
自分の中で遥かに大きく占める悩み、苦しみがあり、
「トイレが詰まった」ってことは、自分が役立てるという、
喜びというか、ささやかな、
せめてもの自己肯定感をはぐくむ場でさえあったということ。
上述した以外にも、そこそこ汚いものを扱う業務は多々あったけど、
それらは単純作業で確実に人の役にも立てて、
現場に出てるから苦情の電話も取らなくていい、
気楽で、なんだか「息抜き」みたいな感覚だったな。
それが今や、我ながらなんとしたことか・・
我が家はトイレを詰まらせた旧宅の他に、
隣にもう一棟、新宅があるから、ひとつトイレが詰まったからといって、
用を足すのに困るわけでもないし、
目を不自由する俺では作業が困難だったら、
父母を頼ればいいだけの話で・・
なのになんだろうねぇ、
随分、無駄に潔癖症気味になった気もする(苦笑)
そのくせ、自室もトイレも2週間に1回しか掃除しないけどねw
ほんと、冒頭の紳助の言葉通り。