【共感と同情について】

わたしは共感も同情も同調も特に求めていない。

全ては自己理解と 自分の特質
パターンのデータ取りと記録の為。

相手に興味があるのも
データをとって 自分にはない感覚感情のパターンをインストールするためである(コンピューター)
→わからないものは 一度やってみて体験して
自分がどう感じるか をやってみることにしている。
(※常人の感覚感情が私にはわからないから)

人が救えるのは自分だけ。

周りは勝手にそれをみて救われる。


ただ。世間ではどうやらそうではないという認識でいる。
【共感してほしい、わかってほしい、救ってほしい】


言い方悪いけど とんだ、茶番。
自分でやっているのである。

そして私がデータ取りでやっていることにさえ
そんな風に認識する人も多い。

でもその茶番も、またエネルギーになり(金)になる。
助けてもらえて 優遇されて 利益がある。
日本には手厚い保障と 同情がある。

【その状況に感謝する、満足する、足るを知る。】

美しいな、とは思うが
現状に本当は不満がある。や惨めな想いをしているのなら 

変える勇気を自ら持ち 
現状から少しでも変える行動をすることだ。


ただ、世の中には
悲しい 惨めな思いをしている といえば
受けられる優遇などを元に あえてそんな状況にいるメリットもある。

同情を受けられるし ラクだからだ。

日本の大衆は 特に
源義経 判官びいきにはじまる 
【悲劇のヒーロー、ヒロイン】を、美談にしがちだ。
ドラマティック、ストーリーに肩入れしがち。
(更に言うなら見目の美しさ)

※因みにわたしは中学時代から漫画でハマって
源義経のファンであるので、非常によくわかります。

兄である頼朝の鎌倉幕府に追われて
モンゴルに渡り、チンギスハーンになったという説もあるが、

男として 実子は殺され 権力も剥奪され
愛する人も奪われ、信頼していた仲間も殺され。

情勢ももちろんあるが、
ゆうて 【負けた】 状態である。


牙を抜かれて 生きながらえる幸せもあったのかもしれないし、生きたのかもしれない。

幸せだったんだろうか?

一世を風靡した。
平家の戦いで あんなにも活躍し 大衆を味方につけつつも。
兄に。力を持った武士などの権力には追われ。


悔しかっただろうなって思う。

競争意識がよくない みたいにも言われたりするけれど
本能としてなくなりはしない。

イジメなども表立ってはなくても、なくなりはしない。


強くならないといけないと思う。

つづく。


まるで沖縄のような。 サンセット。

※わたしは沖縄の5つ星リゾートホテルで毎日サンセットを見ながら働いておりました。