共感力、とかの話でも書いたが

私の感覚は変わっているらしい。


普通って書くと普通ってなんだってなるけれど

人口の割合に対してはマイノリティだと

感じたり言われたりしたことが大いにある。



例えば 私は長生きをしたくないし

出来るだけ早く死にたいし

死が悪いことだと思っていない。


病んでるの?って聞かれるけど

何か出来事があって病んでるわけじゃなく

ポジティブに早死にしたい


それを病んでると言われる事が私は変なんだろうかと病む原因になったことがあるくらいかなぁ。。※最近はもう気にしなくなった。心配されるからわざわざ公言もしないけど



よく、死にたい人を

死んだらダメだ。

もっと辛い状況の人がいる


とか


生きてればいい事がある


とか色々言ったり、あまつさえ怒る人さえいるけれど



その人が今死にたいんだったら 死にたい意志の自由くらいあってもいいじゃないかと思う。


そりゃ今の日本では死んだら迷惑かけるけど。


選択するのはその人の自由。



見守る人にできるのは


【あなたが死んだら私は悲しいから、困るから

死なないで欲しい】って言うだけ。



その人が自力で立ち上がる時

助けを求められた時 できるサポートをしてあげるだけ。



死んでもいいけど

死ぬ前にやりたいこと全部やった?って聞いてみる。



母が20歳の時ガンで他界して、

去年は交通事故にもあった。


元旦の能登半島地震でも、たくさんの人が亡くなっている。



死は、遠いものではなくて

いつ来るかは予測できないから


後悔のないように

いつ死んでもいいように

やりたいと思ったことを全部やって

今を生きてる。



それでもなんにもやる気力もない時。

死んでしまうのならそれはそれで仕方ないから

流れに身を任せてみる。


本気で死にたかったら、死ぬをやってみる。

※簡単に死ぬこともあるわりに、自死するのは

結構大変だし、なかなか面倒。

気力も計画性もいる。



とりあえず、今日いきてるんだから

ブログを書いてみたりね。