線引きについて。


ここのところ、ツインレイだの

アダルトチルドレンだの、大人の発達障害だの

心理学だのの記事や文献をよく読んでいる。


昔から読んでいたのだが

どうも私は『普通と違うらしい』という感覚で

現実でもネットでも認識のズレが否めないからだ。

(※これは決して自分は特別だなどという選民意識ではない。どちらかというと、サイコパス。異端の方である)


線引き。


ここまで相手に言ったら失礼だよね、とか。

これくらいの関係性ならここまでだよね、とか。

利害関係含めて、ポジショニング的に、キャラ的に自分はここだよね、という潜在意識という名の自意識と思い込み。



わたしは、これがどうもうまくできない。


思ったことは相手が誰であろうが、正しく伝えたくなる。

先ことまで先読みして、とかそういった利害のある立ち回りも出来ない。

好きか嫌いか。


自分の感覚が動くか。


自分のその時の波。コンディション。

それが全てで。


どう頑張っても出来ない。

迎合しようとしたら体調が悪くなり

その場だけやり過ごすのさえ自分に嘘をつくみたいなのが嫌で、誤魔化せない。


自分、不器用なんです。


などとカッコよく言えるほど確立された実績もなければ

これだけは負けない、という強みがあるとは

自分で到底思えない。



個性的だなあと言えば聞こえが良いが

とどのつまり、社会不適のサイコパスなのだと思う。


どんな私も受け入れてもらえる世界への信頼。


聞こえは良いけれど、そんな人たちだって最低限のモラルは守っている。やる事もやっている。



それすら出来ない時がある私は、

生業をする人間として欠陥品だと思うことは多々ある。


人との線引きのようなものも

暗黙で 一般的には持っている感覚で


起業や自分ビジネスと呼ばれる場では

多少その境界がゆるく 線の場所も違えど

確実に存在している境界線。



その基準は価値観や所属している

コミュニティなどで決まるのだと思う。


ここ数年、起業などをして

ありがたいことにお客さまがついて

完成して感謝されても、一瞬は満たされるものの、どうしても満たされないモヤモヤがあると感じていた。


どんな良い講座を受けても、高額なものを受けても、コンサルを受けても満たされないのは


私に価値基準がなかったからだった。


ジャッジも善悪もないから、全て

そう言う考え方もあるのか、と一度は受け入れて知ることにしていた。


ここ数日でようやく、生きる意味。

価値基準が育ってきたように思う。


柔軟で受け入れ力が高いのは良いが

芯がないとどんな色にも染まってしまう。


ブレない芯と基準。

今年はようやく出来そうな気がしている。