作者:吉田秀和
出版社:白水社(横浜市立図書館)
的確で精妙で、どこまでも耳を満足させ、比べるもののないほどよく流れるモーツァルトの音楽。その音楽に秘められた「楽想」を楽曲に即して紡ぎ出し、「モーツァルト的な美しさ」とは何かをさぐる。モーツァルト理解にとってこのうえなき一冊。(「BOOK」データベースより)
数学の専門家にとって、数式はテキストであり、高度な理論の数式は素晴らしいテキストになるであろうが、音楽も専門家にとっては楽譜はテキストであり、モーツァルトの楽譜は素晴らしい小説に匹敵するものだろうと思ったが、残念ながら私には楽譜が読めないのでさっぱりわからない。
この「ハ短調ミサ」でも、グローリアの最後の部分「聖霊とともに」ではじまる長いフーガの終結に近い部分には、一種の音のきしみがある。モーツァルトが耳ざわりの音をあえて辞さなかったからというのでは、まったくないだろう。モーツァルトは、彼の異常な耳の鋭さのために、もっと多くの不思議な音の結びつきを聞き取っていたに違いない。そのうち彼が使用したのは、むしろ一部でしかなかったといっても間違いではないのではあるまいか。...近代の音楽家たちがあれほど求めに求めてきた新奇な和音の響きが、果たしてどれが二百年前に生まれたこの音楽家の耳の端をすでにかすめていなかったといえるだろうか。
彼の魂は処女マリアを思うとき、耳のそばを流れて行く美の中にひたすら溶け込んでゆく。これはすでに陶酔というようなものでさえない。そうして魂を手放した彼の手から、歌は無心の鳥のように、空高く飛んでゆく。
出版社:白水社(横浜市立図書館)
的確で精妙で、どこまでも耳を満足させ、比べるもののないほどよく流れるモーツァルトの音楽。その音楽に秘められた「楽想」を楽曲に即して紡ぎ出し、「モーツァルト的な美しさ」とは何かをさぐる。モーツァルト理解にとってこのうえなき一冊。(「BOOK」データベースより)
数学の専門家にとって、数式はテキストであり、高度な理論の数式は素晴らしいテキストになるであろうが、音楽も専門家にとっては楽譜はテキストであり、モーツァルトの楽譜は素晴らしい小説に匹敵するものだろうと思ったが、残念ながら私には楽譜が読めないのでさっぱりわからない。
この「ハ短調ミサ」でも、グローリアの最後の部分「聖霊とともに」ではじまる長いフーガの終結に近い部分には、一種の音のきしみがある。モーツァルトが耳ざわりの音をあえて辞さなかったからというのでは、まったくないだろう。モーツァルトは、彼の異常な耳の鋭さのために、もっと多くの不思議な音の結びつきを聞き取っていたに違いない。そのうち彼が使用したのは、むしろ一部でしかなかったといっても間違いではないのではあるまいか。...近代の音楽家たちがあれほど求めに求めてきた新奇な和音の響きが、果たしてどれが二百年前に生まれたこの音楽家の耳の端をすでにかすめていなかったといえるだろうか。
彼の魂は処女マリアを思うとき、耳のそばを流れて行く美の中にひたすら溶け込んでゆく。これはすでに陶酔というようなものでさえない。そうして魂を手放した彼の手から、歌は無心の鳥のように、空高く飛んでゆく。