さだまさし さんの歌でやけに辛くさせる・・・


その曲名は案山子(かかし)です。


「元気でいるか 街には慣れたか  友達できたか


寂しくはないか お金はあるか 今度いつ帰る・・・」


この曲を聴くたびに涙が出て、いたたまれなくなる。


こんな馬鹿なお父さんだけど、お前たちには、お前たちのの人生があると思う。


この春、二人とも就職したと思うい、影ながら応援している。


お母さんを守ってやって欲しい


長男へ・・・お前にはその運命がある・・・


これから社会の一員になって頑張って欲しいと思う。


そして、素敵で明るい、良き伴侶をもらって


明るい家庭を築いて欲しい・・・


お父さんのようにはなるなよ。


長女へ・・・嫁ぐ時には、お父さんは何もしてやれない


お前も、幸せな家庭を築いて欲しい


そして、子供ができても、お父さんには孫の顔さえ見えないから・・・


ある時に言ったね・・・


この世の中で、上級になるには、勉強をすることだと・・・。


そして、お前たちは その階段を登った。お父さんの誇りだ。


同じ宮崎の青い空の下に一緒にいるのだけど、会えない・・・。


大きくなったんだろうね。


お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんを守って欲しい。


お前たち二人には、済まないと思っている。


お前たちと、毎週のようにピクニックに行ったね。


娘は、野に咲く花を摘んできてくれた


今頃咲く「れんげ花」だった。


お父さんも、もうじき還暦を迎える


お前たちのことを、一日も忘れたことはない


毎朝と、寝る前に、仏壇に向かい、ご先祖様に願う


二人を見守ってくださいと・・・。











離婚して一番の犠牲になったのは、子ども達だった。


多感期な年代に、離婚してしまうのは本当に済まないと思う。


息子は宮崎大学に推薦入学をし、娘は都城商業に推薦入学した。


私の唯一の「誇り」でもあった。


しかし、妻とは完全に冷え切っていた。


いわゆる家庭内別居状態である。


息子は大学に入るまでは、義母のところに住んでいた。


それは、義母と義父との関係がうまくいかず、息子が仲裁役であった。


義父は晩酌をすると酔いがまわると、いつも義母に喰ってかかる・・・


義母との喧嘩がはじまる。義父は「寅年」で義母は「龍年」生まれで、両方の喧嘩はすさましい。


口論になると、両方とも一歩も譲らない・・・。


ある時は、義父が包丁をとり、義母に暴力を振るうこともあった。


そんなこともあり、義母の思いで、息子が泊まることで仲裁役な立場にいた。


私も、盆休みや、お正月にも呼ばれるが、いつも最後には義父と義母の喧嘩になるので、


苦痛な思いを何度も経験してきた。娘もそんな義父と義母の姿を見て、嫌悪感を感じていたらしい。


盆、正月に呼ばれるが、それ以外にも、何かと祭事には呼ばれるが、いつも心の中では、嫌でしょうがなかった。


そんな環境の中で、息子は育った。夕方には学校から自宅に帰り、


そして義母のところに泊まり、そして次の朝に帰ってくる。


私たち家族4人で夕食をするのは、年に数回あるかないかである。


「お婆ちゃんが寂しいから」と言って、毎日、泊まりに行っていた。


ある日、義父から呼ばれ、こんな話をされた。


「長男の息子を、養子にくれないか・・・」と。


私は唖然とした。いくら義父とは言え、それだけはできないと・・・。


義父の子どもは皆、女3姉妹である。それは義父の画策で資産をすべて息子に相続したいとのことだった。


それは、3姉妹の、義父の財産争いがあったからである。


私も財産狙いだと、義姉妹からも言われ続けてきた。


醜い醜態であった。息子はそれを知り、義母から洗脳されていた。


息子が可愛いのは分かるが、養子になるのと言うと話は別だ。


決定的なことは、「あんたの家には資産がない」とまで言われたことだ。


私の両親も既に他界しており、資産という資産はなかった。


それを見込んでの話であった。


私はその後、義父や義母の考えが、いままでのシナリオだったことを知った。


自分たちの財産を、他の娘たちには一切、渡さないと・・・


そんなことがあり、義父や義母が益々、嫌いになった。


これは、私が離婚する前年のお正月の話である・・・。



家族の絆とは・・・


離婚して、まもなく5年を迎える


私よりも、子どもたちの方が 辛かっただろうと思う。


家族への「思いやり」がなかったのだろう。


当時は、小さな会社を経営していたが、毎月の売上げや資金繰りが悪く


土日も返上して会社に行き、日頃に出来ないことをしていた。


社員の給料だけは何とか確保はしていたが、毎月の固定費や


返済金で自転車操業で、精神面で自分のこころのどこかに自殺願望があった。


自分の給料も出せず、他の支払に回していた。


そんな毎月で、女房に給料を3ヶ月分も渡せない頃があった。


実家は商店を営んでいたので、電気 ガス 水道は店で払っていた。


生活費と養育費を、渡さなければならないが、それもできなかった。


私は精神的に追い込まれ、下痢、嘔吐を繰返す日々が続いた。


資金繰りの宛てもなくなり、消費者金融に手を出してしまった。


その場は乗り切ったが、それはつかの間だった。


その後、消費者金融から明細のハガキが届き、発覚をした。


その明細に借り入れた50万の明細を娘が開封し、


これって何?と明細を写メールで送って来た。


これですべてが始まった・・・