離婚して一番の犠牲になったのは、子ども達だった。
多感期な年代に、離婚してしまうのは本当に済まないと思う。
息子は宮崎大学に推薦入学をし、娘は都城商業に推薦入学した。
私の唯一の「誇り」でもあった。
しかし、妻とは完全に冷え切っていた。
いわゆる家庭内別居状態である。
息子は大学に入るまでは、義母のところに住んでいた。
それは、義母と義父との関係がうまくいかず、息子が仲裁役であった。
義父は晩酌をすると酔いがまわると、いつも義母に喰ってかかる・・・
義母との喧嘩がはじまる。義父は「寅年」で義母は「龍年」生まれで、両方の喧嘩はすさましい。
口論になると、両方とも一歩も譲らない・・・。
ある時は、義父が包丁をとり、義母に暴力を振るうこともあった。
そんなこともあり、義母の思いで、息子が泊まることで仲裁役な立場にいた。
私も、盆休みや、お正月にも呼ばれるが、いつも最後には義父と義母の喧嘩になるので、
苦痛な思いを何度も経験してきた。娘もそんな義父と義母の姿を見て、嫌悪感を感じていたらしい。
盆、正月に呼ばれるが、それ以外にも、何かと祭事には呼ばれるが、いつも心の中では、嫌でしょうがなかった。
そんな環境の中で、息子は育った。夕方には学校から自宅に帰り、
そして義母のところに泊まり、そして次の朝に帰ってくる。
私たち家族4人で夕食をするのは、年に数回あるかないかである。
「お婆ちゃんが寂しいから」と言って、毎日、泊まりに行っていた。
ある日、義父から呼ばれ、こんな話をされた。
「長男の息子を、養子にくれないか・・・」と。
私は唖然とした。いくら義父とは言え、それだけはできないと・・・。
義父の子どもは皆、女3姉妹である。それは義父の画策で資産をすべて息子に相続したいとのことだった。
それは、3姉妹の、義父の財産争いがあったからである。
私も財産狙いだと、義姉妹からも言われ続けてきた。
醜い醜態であった。息子はそれを知り、義母から洗脳されていた。
息子が可愛いのは分かるが、養子になるのと言うと話は別だ。
決定的なことは、「あんたの家には資産がない」とまで言われたことだ。
私の両親も既に他界しており、資産という資産はなかった。
それを見込んでの話であった。
私はその後、義父や義母の考えが、いままでのシナリオだったことを知った。
自分たちの財産を、他の娘たちには一切、渡さないと・・・
そんなことがあり、義父や義母が益々、嫌いになった。
これは、私が離婚する前年のお正月の話である・・・。
多感期な年代に、離婚してしまうのは本当に済まないと思う。
息子は宮崎大学に推薦入学をし、娘は都城商業に推薦入学した。
私の唯一の「誇り」でもあった。
しかし、妻とは完全に冷え切っていた。
いわゆる家庭内別居状態である。
息子は大学に入るまでは、義母のところに住んでいた。
それは、義母と義父との関係がうまくいかず、息子が仲裁役であった。
義父は晩酌をすると酔いがまわると、いつも義母に喰ってかかる・・・
義母との喧嘩がはじまる。義父は「寅年」で義母は「龍年」生まれで、両方の喧嘩はすさましい。
口論になると、両方とも一歩も譲らない・・・。
ある時は、義父が包丁をとり、義母に暴力を振るうこともあった。
そんなこともあり、義母の思いで、息子が泊まることで仲裁役な立場にいた。
私も、盆休みや、お正月にも呼ばれるが、いつも最後には義父と義母の喧嘩になるので、
苦痛な思いを何度も経験してきた。娘もそんな義父と義母の姿を見て、嫌悪感を感じていたらしい。
盆、正月に呼ばれるが、それ以外にも、何かと祭事には呼ばれるが、いつも心の中では、嫌でしょうがなかった。
そんな環境の中で、息子は育った。夕方には学校から自宅に帰り、
そして義母のところに泊まり、そして次の朝に帰ってくる。
私たち家族4人で夕食をするのは、年に数回あるかないかである。
「お婆ちゃんが寂しいから」と言って、毎日、泊まりに行っていた。
ある日、義父から呼ばれ、こんな話をされた。
「長男の息子を、養子にくれないか・・・」と。
私は唖然とした。いくら義父とは言え、それだけはできないと・・・。
義父の子どもは皆、女3姉妹である。それは義父の画策で資産をすべて息子に相続したいとのことだった。
それは、3姉妹の、義父の財産争いがあったからである。
私も財産狙いだと、義姉妹からも言われ続けてきた。
醜い醜態であった。息子はそれを知り、義母から洗脳されていた。
息子が可愛いのは分かるが、養子になるのと言うと話は別だ。
決定的なことは、「あんたの家には資産がない」とまで言われたことだ。
私の両親も既に他界しており、資産という資産はなかった。
それを見込んでの話であった。
私はその後、義父や義母の考えが、いままでのシナリオだったことを知った。
自分たちの財産を、他の娘たちには一切、渡さないと・・・
そんなことがあり、義父や義母が益々、嫌いになった。
これは、私が離婚する前年のお正月の話である・・・。