今日は、「春一番」というべき、風が強かった。
このところ、気温は暖かいのですが、私の気持ちの中には、変化がありました。
気分が良かったり、落ち込んだり、そんな日々を送っています。
先週、内科の診断に行った時、駐車止めに足をとられ、「コケ」ました。
私は、そんな状況で、何かが、変化していると、変に迷信を信じてしまいます。
今年の正月に風呂に入って、今年こそはと思い、口ヒゲをそりました。
それで、何かが起きるのではないかと信じたのです。
そして、両親の写真、祖父母の写真の前に、ローソク、お香、ろうそくを購入しました。
「何かが変われば、人生も変わるんではないかと」思ったからです。
以前、久しぶりに「帰郷」した東京に行き、親父が明日は、墓参りに行くので付き合えと・・・。
実家のある、三鷹市ですが、駅は京王線のつつじケ丘です。
墓は、親父が、作りました。
京王線の高尾駅から、タクシーで5分のところにある「高尾第二墓苑」です。
親父も祖父母には、いろいろあったから建立したと思います。
そして、満が一のことを考えて、私は、菩提寺のお寺に行く事になりました。
しかし、中央線の国分寺駅には止まらず、そのまま他の駅に止まりました。
親父いわく「今日は来るな!とい言うことだな!」と言いました。
私は「唖然」となりました。
そして、東京から宮崎に引越ししてきました。
丁度、子供たち、(孫)が出来てからです。それは、大変喜んでくれました。
私の名義で、月々の支払いは親父がしていました。名前貸しです。
10階建ての8階で、買物も楽で、順調でした。
しかし、母は私と同じ「うつ病」にかかっていました。
常に、昼間も寝ていて、なんか、フラフラ状態で熱があると言っていました。
毎日、沢山の薬を飲んで、「薬づけ」の日々でした。
ある時、急に泣き出して「東京に帰りたい!」と言う孤言葉が頻繁にでました。
原因は「寂しさ」だったのです。
東京の実家は他人に貸しているので、駅前のマンションに住みました。
それから・・・・・・・・・
2月18日に親父がなくなりました。心臓発作で享年76歳の人生でした。
その後、母をまた宮崎の私の家に住まいました。
しかし、生活のパターンが違うために、女房と姑の確執戦争が始まりました。
嫁いわく、一緒には住めないと・・・・・・・
哀しい言葉です。
母をディケアセンターに預けました。嫁との確執に我慢ができなかったからです。
母は、寂しさのあまり、いつも泣いていたと、聞きました。
そして、ある日の夜に電話がかかってきました。
「助けて!」と・・・。
そして、翌日、病院に運んだら、先生から「膵臓癌」ですと・・・。
親父が死んで一年、母の体力は亡くなり、痩せていきました。、
そして死ぬ前の2週間前に、病室のベットの前に、一羽の「すずめ」がきて、
チュンチュウンと言って、飛んでいきました。
必ず、同じ時間です・・・。親父が呼んでいるかのように
そして母は親父が泣くなった翌年、親父を追うように73年の人生を終えました。
今は墓参りには行っていませんが、命日のたびに、塔婆を送っています。
実家とアパートがあり、私は実家をとり、姉はアパートを相続しました。
実家を売りに出して、すぐに購入者が現れました。
そして、1200万で譲渡しました。サラ金や借金を払い、手元には300万が残り、
それで、会社を立ち上げたのです。
しかし、それもうまく行かず、いま生保と生涯年金で生活しています。
こんな姿になって、両親も泣いていると思います。
母がわずらった「うつ病」が私に受け継がれたのだろうか・・・・?
今後の人生はどうなるのだろうか・・・?
孤独死、ミイラ化・・・
最近は、左手が震える・・・母の弟のような「アル中」なのかな?
この時期は季節の変わり目で、なんか、体調がよくない・・・
毎日が何も変化もなく、引きこもっている自分が情けないと思う。
昨日の夜は、睡眠剤も効かず、また焼酎を飲んでしまった。
毎日、不安の日々が続く・・・。明日も明後日も・・・。
俺、何しているのだろうか・・・。
このところ、気温は暖かいのですが、私の気持ちの中には、変化がありました。
気分が良かったり、落ち込んだり、そんな日々を送っています。
先週、内科の診断に行った時、駐車止めに足をとられ、「コケ」ました。
私は、そんな状況で、何かが、変化していると、変に迷信を信じてしまいます。
今年の正月に風呂に入って、今年こそはと思い、口ヒゲをそりました。
それで、何かが起きるのではないかと信じたのです。
そして、両親の写真、祖父母の写真の前に、ローソク、お香、ろうそくを購入しました。
「何かが変われば、人生も変わるんではないかと」思ったからです。
以前、久しぶりに「帰郷」した東京に行き、親父が明日は、墓参りに行くので付き合えと・・・。
実家のある、三鷹市ですが、駅は京王線のつつじケ丘です。
墓は、親父が、作りました。
京王線の高尾駅から、タクシーで5分のところにある「高尾第二墓苑」です。
親父も祖父母には、いろいろあったから建立したと思います。
そして、満が一のことを考えて、私は、菩提寺のお寺に行く事になりました。
しかし、中央線の国分寺駅には止まらず、そのまま他の駅に止まりました。
親父いわく「今日は来るな!とい言うことだな!」と言いました。
私は「唖然」となりました。
そして、東京から宮崎に引越ししてきました。
丁度、子供たち、(孫)が出来てからです。それは、大変喜んでくれました。
私の名義で、月々の支払いは親父がしていました。名前貸しです。
10階建ての8階で、買物も楽で、順調でした。
しかし、母は私と同じ「うつ病」にかかっていました。
常に、昼間も寝ていて、なんか、フラフラ状態で熱があると言っていました。
毎日、沢山の薬を飲んで、「薬づけ」の日々でした。
ある時、急に泣き出して「東京に帰りたい!」と言う孤言葉が頻繁にでました。
原因は「寂しさ」だったのです。
東京の実家は他人に貸しているので、駅前のマンションに住みました。
それから・・・・・・・・・
2月18日に親父がなくなりました。心臓発作で享年76歳の人生でした。
その後、母をまた宮崎の私の家に住まいました。
しかし、生活のパターンが違うために、女房と姑の確執戦争が始まりました。
嫁いわく、一緒には住めないと・・・・・・・
哀しい言葉です。
母をディケアセンターに預けました。嫁との確執に我慢ができなかったからです。
母は、寂しさのあまり、いつも泣いていたと、聞きました。
そして、ある日の夜に電話がかかってきました。
「助けて!」と・・・。
そして、翌日、病院に運んだら、先生から「膵臓癌」ですと・・・。
親父が死んで一年、母の体力は亡くなり、痩せていきました。、
そして死ぬ前の2週間前に、病室のベットの前に、一羽の「すずめ」がきて、
チュンチュウンと言って、飛んでいきました。
必ず、同じ時間です・・・。親父が呼んでいるかのように
そして母は親父が泣くなった翌年、親父を追うように73年の人生を終えました。
今は墓参りには行っていませんが、命日のたびに、塔婆を送っています。
実家とアパートがあり、私は実家をとり、姉はアパートを相続しました。
実家を売りに出して、すぐに購入者が現れました。
そして、1200万で譲渡しました。サラ金や借金を払い、手元には300万が残り、
それで、会社を立ち上げたのです。
しかし、それもうまく行かず、いま生保と生涯年金で生活しています。
こんな姿になって、両親も泣いていると思います。
母がわずらった「うつ病」が私に受け継がれたのだろうか・・・・?
今後の人生はどうなるのだろうか・・・?
孤独死、ミイラ化・・・
最近は、左手が震える・・・母の弟のような「アル中」なのかな?
この時期は季節の変わり目で、なんか、体調がよくない・・・
毎日が何も変化もなく、引きこもっている自分が情けないと思う。
昨日の夜は、睡眠剤も効かず、また焼酎を飲んでしまった。
毎日、不安の日々が続く・・・。明日も明後日も・・・。
俺、何しているのだろうか・・・。