こんばんは・・・。


今日で10月も終わりですね。月末は嫌な事ばかりが思い出されてしまいます。


支払いや、資金調達で、嫌な事ばかりでした。


今、そんな嫌な状況から開放されましたが、現実的には「血の小便」も出した事も多々ありました。


でも、いい事も随分ありました。思えば遠い昔ですが、仕事の需要があり、寝ることも出来ない時期がありました。


昭和55年くらいの時期、1ヶ月で、当時200万ぐらい稼いでいました。


今では、約3倍の600万円ぐらいでしょう。それも、一人でこなしていました・・・。


ある方の恩義で、私に仕事を斡旋していただきました。


でも、そこには、水増し請求があり、それを断ることができませんでした。


まだ、若かったので、言うなりになっていました。


今で言う、背任行為でした。暗黙の了解で架空口座を作り、毎月振り込んでいました。


私が正規の請求書を書くと、そこには、赤ペンで、水増しをして、その差額を振り込んでいました。


毎月、約10万円ぐらいです。営業部長の肩書きで、部下の社員に私に仕事を出すようにと・・・。


当時は、原価は紙代と写植文字代だけでした。


利益率は約、65%ぐらいでした。儲けて笑いが止まりませんでした。


ひたすら、毎晩、仕事に追いやれる日々でした。夜中の3時ぐらいは当たり前です。


私は東京から宮崎に来ましたが、当時の宮崎の広告事情は悲惨でした。


そこで、色々と提案して、初めてカラーの紙面にしたこともあります。


宮崎では初めてのカラー印刷と言うことで、各代理店の評価が高くなりました。


そこ頃は、まだ新婚でしたので、車もなく、電話もなく、事務所もありませんでした。


でも、その時が最高な人生でした。


お金は溜まりましたが、使うことを知らなかったのです。


代理店の友人に初めてスナックに連れて行って貰いました。


ひとときの「やすらぎ」でした。


今、思えば、楽しい事もあったのだと・・・。


そして、マイハウスと事務所として、家を買いました。


従業員も7人になり、いわば、私の黄金期だったのです。しかし・・・


有頂天になり、天狗になってしまいました。


遊び放題に、夜の街に徘徊をし、女の子と遊んでいました。


その時期には、VISAカードを持っていましたので、全てはカードです。


お気に入りの「すし屋」では3万円もチェックをしたりしていました。


格好の標的になってしまいました・・・。


家に帰らなくなり、「泊まるところは、どこにもあると・・・」豪語していましたから・・・。


しかし、


その時、しっかりとしていれば、今の私ではなかったのだと思います。


まさか、今、こんな病気になるなんて、思っても見ませんでした。


昨年、水道代が払えないので、近所のスーパーや、公園の水道でペットボトルに水を補給するなんて


惨めさをつくずく考えさせられました。「天と地」です。


有頂天になっていた時こそ、その将来の事を考えられなくてはいけないのです。


その後、私は、次々とヘッドハンティングで過ごしました。


今、思うに、私の人生はその繰り返しだけだったと思います。


まあ。これも人生なんだと、痛感しています。


私が育てた芸能人や写真家もいますが、そんな人は、私の背中を観て育っていきました。


ただ、私は、自分の背中が見えないのが残念です。

ご拝聴、ありがとうございます。   拝。