あの日の現実 | わびさび。

あの日の現実




わびさび。


これ見て( ´艸`)❤↓↓



わびさび。



念願のミキサーっ!!!!!



うふふ❤




みんな覚えてるかな?


震災のちょっと前に


「ホンマでっかTV」でクレンズダイエット??のジュースの作り方みてさー


「うちにミキサーないっ!!!」って言ってすりおろして作ってたの。




※ここからは震災の日のことを書きます。


 今書いておかないと忘れる気がして。


 決して明るい話題ではないので


 読みたくない人はスルーしてくださいね。





そんでね、子供たちもジュース「飲みたいっ!!!!」ってなってて、


じゃぁやっぱミキサー買おうか!!!ってなって。



震災当日、旦那チンが休みだったので


3番目チンをお願いして


私は一人ミキサー探しに近くのショッピングモールへ。



いろいろ見たら、ミキサーって結構お値段するのね!


私は簡単なモノでいいのになーって


帰りにリサイクルSHOP覗いてみよう♪


ここで買うのはやーーめた!!って


帰ろうとしてたの。


そしたらふと


ミスドが目に入って。


「ドーナツ100円」の文字がっ!!!!



やだーー食べたいーー❤


でもなーなんか人いっぱいいるしー行列に並ぶのもなー


って悩んで結局


「買ってもまた太るだけだからやーめた!」って


そのまま車へ。



その帰りにリサイクルSHOPに行って


新品のミキサー¥1500でみつけて、


っこれで十分やん!!!


さらにホットサンドメーカーも¥900!!!!でみつけて、


あ!!!これもいい!!!


って買ったのね。


んで


自宅に戻って旦那チンと「おお!!!いい買い物したね!!!安かったしね!」


って喜んでて


このミキサーを袋から出してた


その瞬間・・・



14:46分だったんだね




あ・・・地震!!!!



で、すぐに3番目チン抱いて


2階にはちょっと前に帰宅してた長女ちゃんが


一人宿題してる


私はご存知の通り左膝前十字靱帯断裂中だった(今も)から


階段駆けのぼることはできない。



とっさに旦那チン、2階へ!!!!


揺れはどんどんひどくなる!!


このままじゃ


家つぶれるかも・・・


出口、確保しなきゃ


私は3番目チン抱いたまま


すごい揺れにゆられながら


玄関へ。



外が


世界が


揺れてる


お向かいの家のカーポート


ぎしぎし言って


ぐらぐらゆらゆら


近所のみなさんも外に出てきてる。


2階の2人が気になる。



「2階大丈夫ーーー??」


「大丈夫!!下、大丈夫ーーー??」


ってお互いの安全を確認し合う。


なんども。


なんども。


ふと、あの時、ミスド買うために行列に並んでたら


私、やばかったかもって頭をよぎる



2階の2人は1階にはこられないだろうくらいの揺れ。


玄関にいるんだけど


リビング方面から


ガシャン!


ガッシャン!!って音が聞こえる


なんか壊れてる


でもまだおさまらない



まだなの?


まだおさまらないの??


あれ、このまま建物倒れてきたりして


家潰れたりして


わたしたち死んじゃうのかな・・・



5分にも10分にも感じられる長い時間


「2階大丈夫ーー?」


「大丈夫ーそっちはー?」って


無事を確認し合う。



やっとおさまって


それでもまだ揺れてるような


旦那チンと長女ちゃん、なんとか1階に来れて


合流。



近所のみなさんも


みーーんな外に出てきて


小学生2年生以上は


まだ学校。


どうしよう、学校大丈夫かな


長男くんの安否が気になる



すぐまた余震が来てて


「揺れてる揺れてる」って


みんなしゃがみこんで



それでも長男くんが・・・



そしたら近所のじいちゃんが


「小学生大丈夫だー今避難してるぞー」って


教えてくれて。


よかった!!


でも迎えに言っていいのか


どうなのかわからない



そんなこと考えてたら


誰かが


「向こう、火出てない?」って



我が家は本当に山の上だから


仙台の街が一望できるのね


海に近いところから


煙・・・・


火・・・・



すこしずつ


大きくなっていく


「あれ、どこだろう??」


今考えると


多分石油コンビナート。



しばらく近所のみなさん寒いなか固まって


そしたら


みんなお母さんたち迎えに言ってるよって誰かが教えてくれて


近所のお母さんたちと


学校まで歩いて迎えにいく・・・



無事でいて。


みんな無事でいて!!!



学校に行くと


体育館に導かれて


長男くんと再会!!!



「よかった!!!怖かったでしょ!!?無事でよかった!!!」って抱きしめた


そしたら


「学校は頑丈だから大丈夫だったよ


 それより家が大丈夫か心配だった」って。


偶然にも


うちの小学校の3年生


地震の起こる6時間目の前の5時間目の授業で


「宮城県沖地震」の勉強をしていたんだって


みんなが大人になる頃には宮城県沖地震きますよ、って習ったって。


それでこの学校は大丈夫って先生が言ってたからって。


皮肉にも彼が大人になる前に起きたけど。


しかも、この学校で。



帰り道


「早く帰ろう、早く帰ろう」って


小走りになる長男くん。


もちろん私も早く帰りたい


でも膝がダメだから走れない。


きっと不安だったんだね。



自宅前に行くと、


まだご近所さんたちが外で固まってる。


誰かが持ってきたラジオで


情報を聞く



マグニチュード8.4・・・


えーいやいやそんなモンじゃないよ


しばらくすると


8.8


やっぱりねー


すごかったもんねー



9.0





まぢ?


それって


・・・・



まさか


ここは


被害が少なかったのかもしれない



だって


そんなマグニチュード


いっぱい人が死んだって聞く


地震でしか聞いたことない


これはまずいのかも


間違いなく


私が今まで経験してきた


どの地震よりも大きかった



気付くと雪がちらついてきて


みんな寒い寒いって言って


家に戻る人もいれば


車にいる人もいる



そんな中ライフラインは全滅・・・・


暖をとる手段もなく・・・・





そして我が家5人は夕飯をコンビニでめっちゃ並んでなんとか買って



余震の恐怖で


その日一日は


車の中で過ごした。


でも


全然眠れなくて


夜中


外の空が赤くなってるのを発見する




さっきの


火・・・・



爆発してる


爆発のたびに


空が赤くなる



戦争でも起こってるみたい



そのまま眠れず


朝を迎える


外に出て


仙台の街を見ると



あんなとこ、海だっけ?


なんであんなところに水?


情報がないから


津波がすごいことになってるのも知らなかった


ただご近所さんと


あんなとこまで水あったっけ?


って話してて


公民館に行くと結構な人数避難してて


号外をもらう。


信じられない


海側の見たことある景色が


全部



いや海。



通ったことのある道路


あったはずなのに


虚しく防風林だけが水の中にあるだけ


家も流されてる



はじめて津波が我が町を襲った


そしてたくさんの人が


行方不明で


亡くなった人も


いるって


知った



携帯はずっと不通のまま


唯一県外の家族には安否を知らせることができた


旦那チンの実家とは1度だけ


地震の直後大丈夫って連絡とれたでも小姑さんは仙台港のイベントに


でかけて連絡がとれないって・・・




でもその家族とも


津波の後は


連絡とれてない。


わりと海側に住んでるから余計心配



焦る


生きていてって


願うだけ



こんなときに


圏外表示の私の携帯



充電もなくなってきて



いつも冗談ばっかり言って私を笑わせてくれる旦那チンも


冗談言わないし


きっと内心自分の家族のこと


すごく心配してるはず


私には


とにかくうちは5人無事でよかったって繰り返してるけど


苦しかったと思う



これから


どうなるの


ライフラインないし


寒いし


とりあえず


旦那チンが家の中の壊れたもの掃除しに家に入って


私は子供たちと車で待機


「片づけ終わったよー中に入ろう!」って


家の中に入っても寒い


エアコンは使ってたとき止まったから


開きっぱなし


でも暖かい風はこない


とにかく


着こむ。


しばらくして


ご近所さんが


給水車きてるよーって教えてくれて


ここから私たちのサバイバル生活は始まった。



15日に電気が戻って


どうしても風呂に子供たちも自分も入りたくて


お湯わかして風呂場に運んでるとき


長女ちゃんにやけどを負わせてしまった


右手首の皮がむけてしまって私はパニックになって泣いた


「ごめんね、ごめんね、ママが絶対治してあげるからごめんね」って


何度も言った


でも泣いてる場合じゃない


すぐに病院へ


「大丈夫、できるだけ清潔にしてください」って言われて


心が折れた


清潔・・・


この状況で


無理だよ



その後私たちは16日に私の実家に帰り


27日まで避難生活してました。




旦那チンのお姉さんはビルの屋上に逃げて


津波の難を逃れた


2日かけて自宅に戻り


無事でした



旦那チンの実家も


500メートル先まで水がきたけど


無事でした




昨日


私たちの結婚式2次会にきてくれていた旦那チンの同級生が


津波に飲みこまれ


亡くなったという知らせが来て


旦那チンは日曜日、葬儀にいくそうです。




誰も悪くない


誰も悪くないのに


この悲しみと


虚しさは


どうすればいいのか


わからないです



原発も


不安だし


でもどうすることもできない


原発だって


誰も悪くない


ああすればよかった


こうすればよかった


って


なってしまってから言っても


あとのまつり。


誰も


あの瞬間


あんな大きな地震と


津波が襲ってくるなんて


知らなかったんだから



私が確信したのは


この世に予言者なんていないんだってこと



そして大きな地震の後は


遠くに逃げるのではなくて


鉄筋コンクリートの建物の屋上のような


高いところに逃げること


この選択が


生死をわける




忘れてはいけないね


この出来事


だから


ここに


書き記します。




そんな流れで我が家に辿り着いた


ミキサー¥1500くん。


今日も野菜ジュース作るために


作動中です。




最後まで読んでくれてありがとう


いっぱい吐きださせてもらいました



imo