テーリーガーター ― 尼僧の告白
私がときどき就寝前に読む本を一冊ご紹介します。読むたびに胸が締め付けられるような気持ちになります。
「テーリーガーター ― 尼僧の告白」 (岩波文庫 中村 元翻訳)
今も昔も、そして日本でも外国に於いても、人の悩みは変わりないことを感じます。
NHKの大河ドラマ「江」 のように、この本を読むと理想や夢を追い求めた男たちのかげで、生きることに必死だった女性たちの姿がよくわかります。
「テーリーガーター」で告白している女性の仏道修行者(尼僧)は、ブッダの教えに基づいた修行により、生きたこの身のまま解脱(即身成仏)した喜びを切々と述べております。
その中の一つ、もと遊女が仏道修行ののち、涅槃に到達(解脱成仏)したことを自ら告白した詩。
〔わが身の〕容色とすがたと幸運と名声とに酔いしれ、若さにたよって、わたしは、他の女人たちを見下していました。
愚かな男たちの言い寄るこの身体を、いとも美しく飾って、網をひろげた猟師のように、わたしは娼家の門に立っていました。
秘密に、あるいは露わに、多くの飾りを見せながら、多くの人々を嘲笑いながら、妖しげな種々の術を行ないました。
そのわたしが、いまや、頭髪を剃り、大衣をまとって、托鉢に出かけて、樹の根もとで、<思考せざる境地>を体得して、座しているのです。
天界と人間界の軛(束縛)は、すべて断たれました。すべての汚れを捨てて、わたしは清涼となり、安らぎに帰しています。
もと遊女であったヴィマラー尼
「Amazonのあるカスタマーレビューより」
2000年以上も前の女性たちの詩句ですが、当時の風俗が生々しく書かれています。
現代苦悩している諸問題が、当時も驚くほど同じ様に人々を悩ませています。
娼婦として栄華を極めたり、国王や豪商の娘として優雅に生活していても、
欲望による苦悩や老い、病などから逃れることは出来ません。
それを受け止める自分たちの心を変えなければいけないということに、
仏陀やその弟子たちに出会うことで気付いていきます。
又当時の女性たちも自分の境遇や心の有り方に、
とても深い哲学的思考を持っていたようです。
仏陀の呼び名は多く有りますが「幸せな人」もその一つです。
今まで今ひとつしっくりこなかったのですが、
この詩句を読んでとても深く理解できました。
