失恋をバネにして高く飛べ! -5ページ目

寒中お見舞い申し上げます

2014年も気にかけてくださってありがとうございます!

皆様にとっても私にとっても、素敵な一年でありますように☆


…って、清々しく爽やかに迎えたかった新年ですが、年末に父親と大げんかをし、今日まで口を聞いていません(苦笑)
その上、末妹夫婦の年末年始の態度に苛立ち、最悪の年明けになりました。

父親との口論は、私が幼い頃から溜めていた父親への不満が爆発しただけなので良い(?)のですが(父親に気を遣って愛想笑いをしなくても良くなったので、むしろ楽です)、それに輪をかけるかのようにあの夫婦がやってくれました。

私の常識を他人に当てはめて考えるから、歪みが生じてイライラするのだと理解はしています。
人のふり見て我がふり直せと言われているのだと思います。
ですが、頭は理解していても心が理解出来ないのです。

車で15分の嫁の実家に2泊し(車で5分の旦那の実家は居心地が悪いので日帰りらしい)、「ビールは旦那が好きな○○を用意してね」などと細かく食事の指定をしたくせに手土産のひとつも持参せず、手伝いもせず、姪っ子の世話は母と私。
しかも大晦日は姪っ子の機嫌が悪くて大変でした。

色々あった中で最も腹立たしく感じたのが、元旦の朝、末妹の旦那が茶の間のソファー(3人掛け)の真ん中にあぐらをかき、ソファー一面に新聞を広げて読んでいる光景を目にした時です。
末妹はストーブの前に寝転がってスマホをいじり、母と父は床に座り、姪っ子と遊んでいます。

なんて日だ!

しかも末妹の旦那は、ステテコ姿です。
一瞬、「あれ?この人、この家の主人だっけ?」って思いましたよね。
こんなに寛いでいるのだから、もしかしたら私の実のお兄ちゃんかも?って。

確かに彼は私より3歳年上ですが、立場は義弟です。
血の繋がりなど無い!!

しかも彼が占領しているソファーは、父が昨年「お客さんが気兼ね無く座れるように」とわざわざ購入したリクライニングソファーです。
両端がリクライニングになっていて、真ん中がテーブルになり、このテーブルが仕切りになることでプライベートな空間が生まれます。
…の予定だったんですけどね。
真ん中占領しちゃったらダメじゃん。

母もその光景は予想外だったらしく、目が点になっていました。

彼は誰が来ても避けることなく、2時間くらい座っていたと記憶しています。

ここで父に少し同情をしたのですが、父は婿に腹を立てるどころか自分の居場所が無いので自室へ行ってしまいました。
父が怒らないのに両親を差し置いて注意するわけにもいかず、悶々としながらお正月を過ごしました。

彼等は2日も無料で宿泊した挙句、父からこたつと加湿器と防寒着を貰い(全て新品)、父に自宅まで運ばせ、お茶も出さずに帰しました。(それらが入っていた箱はゴミになるので要りませんと言って父に捨てさせました)

母は、「お父さんでさえあんな非常識なことしなかったし、実家に行った時は必ず神棚にお金を置いて帰ったよ」と嘆いていました。


ですが私が一番腹立たしいのは、そんなことをされてもまだ彼等に何かを買おうとする父です。

旦那の稼ぎも少なく、その上家を建て、子供も生まれたので大変そうに見えますが、末妹はしっかりしているのでちゃんと貯蓄もありますし、食材を買いに行く時にはいつも母を連れて行くのでお金も出してもらっています。
出産の給付金も手付かずで貯金出来るくらいですし。
それなら、一昨年から一人暮らしをしている中妹に何かしてあげて欲しいです。

してもらって当たり前、感謝もしない奴らに何かを買う為に祖父はお金を遺したわけでは無いのに…と思うと、やるせない気持ちになります。
しかも父は、末妹が昨年のクリスマスに義母からビデオカメラをプレゼントしてもらった話を聞いて対抗意識を燃やし、末妹家族に色々プレゼントしたのです。

…アホか。
あんた去年、末妹に新車買ってやっただろう。(もちろん祖父のお金で)

今はそんなイライラもあり父の顔も見たくないですし、将来父の面倒など見たくない気持ちでいっぱいです。
祖父が生前必死で貯めたお金で好き勝手に暮らせば良いと思います。
我が家を自分の実家より寛げると豪語するあの婿に、全てを託したいです。
長女辞めたい。

お子様のような考えだとはわかっていても、イライラは治まりません。情け無いです。


最近は穏やかな思考で過ごせていたので、こんなに沢山の嫌な感情が隠れていたことにショックを受けております。
恋愛や仕事で悩む以前に、この感情と向き合わなければ同じことを繰り返すと悟ったので、今は闇の探索を頑張ります。


余談ですが、末妹は年末に「お歳暮でハムをいっぱいもらっちゃった☆」と話していました。
母と私は、そのハムを大晦日に持って来てくれるのではないか?と内心ワクワクしていましたが、あの日彼女から渡されたのは姪っ子のストック用オムツだけでした。

私達は別にハムが好きなわけではありません。
ただ、ほんの少しの思い遣りがあるだけで人は何倍も頑張れるのに…と残念に思ったんです。

あの時、ハムさえあればこんなに苛立つことも無かったのに…。

人間関係の潤滑油は、真心のハムなのだ。

(ハムのステマじゃありません)


私も、愛を戴いた方にハムを返しそびれないよう、日々感謝の気持ちを持ち続けていきたいです。
…いつか父にも感謝出来る日が来ると良いのですが。

年明けから面倒くさい話でごめんなさい。

2014年も宜しくお願い致します!

お久しぶりです、元気です

ご無沙汰しております。
北の大地はすっかり寒くなりましたが、私は元気に肥えています。昨年の蓄えも消化していないというのに…。

祖母の葬儀から数ヶ月が経ったとは思えないくらい、あっという間に慌ただしく日々が過ぎました。

思い返せば、週の半分は姪っ子が実家に遊びに来ています。
お昼頃から夜8時近くまでいます。

姪っ子を連れて来た時の末妹は、「母乳をあげる」「何かを食べる」「トイレへ行く」「スーパーへ行く」以外の動作をほとんどしません。主にテレビを見ながらゴロゴロしているので、姪っ子ちゃんのお世話は母と私の役目です。
実家があるって素晴らしいですね(笑)

そんな訳で姪っ子ちゃんが来る日は一日が潰れてしまうのですが、それを苦だと思わないくらい楽しく過ごしています。
自分に子供が出来てもこんなに可愛がるだろうか?と思うくらい溺愛し、散財しております。
想像で姪っ子に「おばちゃん嫌い」と言われ、泣いたこともありました。
こうやって擬似育児をさせて頂いているおかげで、一生独身でも良いかなぁと思っている始末です…(苦笑)

やはり自分の子供だと負う責任も違いますし、妹の様に親元に近い場所に暮らすなら少しは楽かもしれませんが、遠い場所での出産となると心に余裕を持った育児は難しいと思います。
子供が犠牲になるニュースを見る度に、誰にでも起こり得ることなのではないか?と悲しい気持ちになります。

そんなことを考えていると益々結婚願望は薄れ、最近はどんな男性を見てもトキメキません。
それとは対照的に、可愛い女性を見る度に「姪っ子ちゃんはこんな風になるのかなぁ」とワクワクします。

こうして叔母モード全開の日々を過ごしていた為、ブログに書くネタも無いまま師走に突入してしまいました。

唯一行ったのは、末妹に頼まれて姪っ子のサンタさん服を作ったこと位です。


photo:01




初めての服作りなのにも関わらず、雰囲気だけで型紙から作成しました。
形も縫い目もガタガタですが、末妹は喜んでくれたみたいなので安心しております。

愛があれば、サンタ服も(何となく)作れる!(笑)

ブログに書くのを忘れていましたが、秋頃にミシンを購入したので、今後もどんどん活用していきたいです。
とりあえず初心者に洋服は早過ぎたので(苦笑)、仕切り直してティッシュケースから始めたいと思います。


そんな近況でした☆
気にかけてくださってありがとうございます!
次回は間が空かないように頑張ります!

ありがとうございました

危篤だと言われてから一ヶ月。
祖母が他界しました。

祖母が危篤の間に親戚が他界したりと色々なことがありましたが、葬儀を終え無事に帰宅しました。

これまでも具合が悪くなる度に死ぬ死ぬ詐欺を繰り返していた祖母でしたので、最後の意地を見せたのだと思っています。

話す事も出来ず、意識もはっきりしない中、点滴の分だけむくむ身体の苦しさはどれ程だったのでしょう。
祖母より数週間前に亡くなった親戚は亡くなるまでずっと苦しがっていたそうなので、祖母も話が出来たなら毎日苦しくて怒っていたに違いありません。

祖母の遺影写真を選んでいた時も笑った顔が殆ど無くて結局、30年近く前の中妹を抱っこして微笑んでいる写真を選びました。(親戚には「こんなに若い時の写真を使ってズルい」と言われましたが…笑)
生前、祖父が病気になって気弱になっていた祖母が「自分の遺影写真を用意しておかなければ…でもこんな老けた顔は嫌だ」と心配していたので、若々しいものを選びました。せめてもの祖母孝行になれば良いのですが。

祖母が亡くなった時間(0時20分)は、末妹の子が産まれた時間でした。不思議な巡り合わせです。
そんな夜中に私は、足をつりました(笑)
祖母は私に教えてくれたみたいです。

今回は姪っ子ちゃんのおかげで、明るく楽しい式になりました。
姪っ子ちゃんはお腹が空いた時にしか泣かない良い子です。まだ人見知りも無く、今は絶好調に良く笑う時期なので、皆から可愛がられました。
お経の最中も「あうあうあー」と一緒に喋り、皆の心を和ませました。

唯一火葬場でお腹が空いて泣き始めたのですが、抱っこしながら一緒に泣き真似をして外を走り回ると眠ったので(遠くから見ると、赤ちゃんを抱っこしたまま奇声を上げて走り回る変な人)、そのまま起こさないようにおとなしくしていたら骨拾いに参加出来ませんでした(苦笑)
ごめんね、ばあちゃん。

家族葬という形でしたので、準備や片付けは全て自分たちで行いました。
私は洗い物に徹し、台所の主として君臨しました。

そんな慌ただしさもあってか、私達家族は泣く暇も無いまま葬儀が終了しました。
本当にごめんね、ばあちゃん。

片道約200キロの道中疲れと遅れていた乙女日の始まりにより、翌日は完全にダウンです。
…が、お昼に姪っ子ちゃんが来たので頑張って遊んでしまい、疲れと乙女日痛は翌日に持ち越しました。

そして翌日の今日、ぐったりしながらブログを作成しています。

皆様には色々ご心配をおかけしてしまいましたが、祖母も無事に祖父の所へ行く準備が整いました。
詳しいことは分かりませんが、49
日を過ぎたらこの世からあの世に行けるそうなので、それまでは必ず仏壇に手を合わせたいと思います。