市の歴史ミュージアムにいきました。
バスは、古いユニークな建物のある通りを走っていきます。
この街の歴史を語る建物のいろんな表情を、楽しみながら・・
市の歴史ミュージアムの一室にて
思わぬものに遭遇しました。そこでは差別問題が大きく捉えられいます。
ネイティブアメリカン、黒人、アジア人などの差別と、戦いの歴史。
そこに、日系人が一つの展示コーナーとして取り上げられているのです。
ここでは、戦争との関係がクローッズアップされている
日本人は、1800年台から西海岸に移住し始めたが、市民権は与えられず戦争で差別はますますひどくなった。
そう、アメリカは、70年前、日本と戦争をしていたんだ。
戦時国債(WAR LOAN)の発行ポスター、(ドイツの)次は日本だ!
そして、別のポスターには、日本人と中国人の見分け方が書いてある。
逆にみると、中国人は味方、日本人は敵ということなのか。
日本人収容所
戦争がはじまると、西海岸やハワイの日系人は、日本軍と協力するかもしれない、ということで、強制収容されることになった。
そして、突然の命令で、苦労して築いた家やビジネスを取り上げられた。
11万人もの日系人が、持てるだけの荷物で、住み慣れた土地を離れた。
内陸にある砂漠や山の厳しい環境に作られた数か所の収容所に送られた。
収容所では
銃をもった警備に囲まれれ、逃げようとして撃たれた人もいる。
子供たちも、家族とともに、小さな粗末な小屋に入れられた。
なぜ、この市にこのような展示が?
この市は、西海岸から遥か遠く、日系人は、敵国人として大きな差別を受けていたが、強制収容の対象地区ではなかった。
そして、日系人は収容所を出て、この市に移動することは許された。特に若い人はここに移ってきた。
受付ける病院や墓地すらほとんどなく、差別されながらも働くことはできた。
その結果、この市の日系人人口は、戦前の数百人から、何千人にも膨れた。
日本が、まだ戦後の荒れ果てた中で復興を始めるころ、この市の若い日系人たちは、苦しいながらも学校に行き、助け合い、徐々に生活を築いてきた。
しかし、差別の厳しい状態は続いていた。
その後
差別が、やっと変ってきたのは、マーティン・ルーサー・キング牧師らの活動により1964年に公民権法が成立してから。
戦後、何十年も経って、米国政府は、この収容命令が、誤ったものであることを認めた。
そして、収容された人たちに、謝り、補償金を支払った。
この国では、過ちを認めることは、よほどの場合のみです。その背景には、日系人たちの凄まじい努力や死をともなう戦いがあった。
そして、昨年、オバマ大統領と米国議会は、犠牲を顧みず米国のために当時欧州で戦った日系人編成の442戦闘部隊に最高の名誉である勲章である議会名誉黄金勲章を与えた。
戦争はいやだけれど、戦わねば、日系人の将来が築けないという状況で、たくさんの人が戦死した。(戦死率は米軍のなかでは際立って高い)
そして今
この日系人のパネルを展示できたのは、きっと厳しい時代を生き延びた人たちの努力があったからにちがいない。
私たち日本人は、この地方で(ほとんど)安心して暮らすことができる。 個人的には、いろいろな不安なことはあるけれど。
市の歴史を見にいった私だけど、心が整理できないまま帰りのバスに乗った。バスにはいろんな人種のひとたちが乗っているのに気が付いた。それぞれ、歴史を抱えているんだ、今も戦っている、と思いながら。





