1月に能登半島地震が起き、
今年の3.11までは
いろいろなことを考えさせられる
時間となりました。







石川県で
やっとお水が出るようになった地域があると
最近のニュースで見ました。


1月から3月まで2ヶ月間も
水をくむことを
日課にしなければならないなんて
どれだけ大変だったことでしょう。



東日本大震災のとき、
毎日、
生活に必要なだけの
お水をくんでくる父。

こんなにもたくさん必要なものなのと
初めて知りました。


それも、
これまでと同じように使うのではなく
節水して使う量です。





そのことを
夕べお風呂に入りながら思い出しました。




お水の心配なく
お風呂に入れることが
この上なく贅沢であり
幸せに感じられ、

明日もこうして入れるのかしらという
心配も不安もなく
のんびりと入っていられる時間に癒され
眠ることが出来ました。


穏やかな気持ちのまま
朝を迎えられました。



今朝、
カーテンを開けたら
心臓がドキッとしました。




今朝は白い空でした。



13年前
小雪の舞う中、
坂の上から津波を見ていた時の
空の色に感じました。


実家は坂の上というか山の上というか。
目の前に遮るものがないので、
自然と視界の空の割合が広くなります。




そのせいなのでしょうか。
今朝は、
空の色に
心臓ズキンときました。



またいつもの様に
変なバクバクと
変な冷や汗と過ごす1日。





夕方になり、
今年2回目の
花は咲くを弾きました。




一回目はこちら
 ↓↓↓



能登半島地震の際に
今私が出来ることとして
弾かせていただきました。






こちらの演奏を聴いてくださった方が
ピアノに癒されました
とメッセージをくださいました。




当時、福島に住まわれていらして
津波の被害にはあわなかったものの
放射能の不安から他県に避難したそうです。

特に被害がないにも関わらず
避難し、復興にも関わらず
後ろめたい思いがあったと。

私のブログを読んで、
当時の私は怖かったんだよね…と
昔の自分をギュっとできたような気がします

ありがとうございました


とお話ししてくださいました。




13年かかって
本当は怖かったという気持ちに
気づかれたのだそうです。
⁡⁡
⁡⁡
⁡被害が無い私なんかが
怖いって言っちゃダメ
思っちゃダメ

そう思われた方は
たくさんいらっしゃると思います。

この方もきっと
怖い気持ちに蓋をして
生きてこられたのでしょうね。



私と同じく
花は咲くが嫌いだった
ともお話しされていましたが、
希望と想いを寄せる曲に変わりました
とも仰ってくださいました。



嬉しいですね。




私のピアノやブログがきっかけで
13年間の想いを許して
自分で自分をギュッとしてあげられたんて。





私もずっと自分が許せませんでした。
怖いも弱いも認められずいました。



この方の言葉をお借りすると
私にとって
ピアノを弾くことは
自分をギュッとしてあげること
だったのだと思います。




自分と繋がること。





今さら弾けないくせに
勝手に想像している世間の声が怖くて
なかなか踏み出せなかった一歩。


心優しい方々に応援され
今からだって出来るかも。
私だってまだ出来るかも。
そう思えるようになってきました。


講座で知り合った方、
コミュニティでご一緒した方。

いきなりリアルの人間関係は
難しかった私には
程よい距離感でありながらも
深く深く繋がってくださった方々。


ありがとうございます。



怖がりながらも
1歩ずつ進み続ければ
必ず人は変わる


私が身を持って
実証しています。




13年前の私に
あなたのピアノに癒されます
と言ってくれる人がいるんですよ
と教えてあげたいです。





希望を持ってやり続ければ
必ず道は開ける。


そして、
その歩みこそが
人の心を打つものになるのだと思います。




花は咲くが嫌いだった私
 ↓↓↓




⁡⁡聴く度に嫌な想いをしていたのですが、
昨年の3.11に弾いて以来、
私には大切な1曲となりました。

 






よろしければ
今年の花は咲くもお聴きください。

また必要としてくださる
どなたかの元に届きますように♪
⁡⁡
⁡⁡







 YouTube
 


 








 










  


HP

 






🎼..•*¨盛岡市のピアノ教室¨*•.¸¸🎶
     レッスンのお問い合わせは
     こちらからお気軽にどうぞ
              ↓         ↓         ↓