8月6日、某サイトにアップされていた、私の大先輩による、
『博多の外食産業における接客文化傾向にまつわる
“博多人=M気質”論』(長い長い…)。
いや、実によく腑に落ちたのだが、所詮、頭で考えただけ。
ならばせめて一度、検証に参ろう、と。
カウンターに、隣人とのコミュニケーションを遮断する
仕切りがあることで有名な、某ラーメン屋。
お座り一発で誰もが“孤独のグルメ”しちゃう、福岡の
超有名店である(実際、五郎さんもご自身のブログで
このお店の渋谷店訪問の画像をアップしている)。
理由はわからないけれど“バタリー飼育”というコトバが
脳裏を過ぎる。
我が所領、なかなかに窮屈である。
曰く、隣人委細気にするべからず!ラーメンに
全神経を集中すべし!と。さらにテーブルには、
いつもならばラーメンに優しく傅き、
私たちを味の和睦へと導いてくれる従順な調味料たちが
一切見当たらない。
紅しょうがも、ごまも、こしょうも、にんにくも。
誰かに共感を求めることも、
対峙する相手(ラーメンだけど)との
和睦(味を調整するだけだけど)も適わぬ、
孤高のスペース。
あらゆる意味で自由な身動きを抑制された
この状況、差し詰め、“緊縛プレイ”というところか。
すっと目に入る、問診表のような一枚の紙とボールペン。
この紙に、所望すべきラーメンの味の好みを
記入していくのだ。現在の我が欲望を可視化するわけだ。
「どうしてほしいのかはっきりと言ってごらん!」
もしくは
「どうされましたか?どこがお悪いのですか?」
って訊かれてるみたいなもんで、
これは初心者向けの“侮辱プレイ”または“医療プレイ”なんだろうな。
(そんなプレイあるのかどうか知らんけど)
テーブル越しからは首から下しか確認ができない、
コスプレイヤーのおねぃさん(店員さんだけど)に、
切なる我が欲望(濃い目のラーメンで空腹を
満たしたいだけだけど)をクネクネしながら告白する。
「かしこまりました~、しばらくお待ちくださいませ~」
腰に名札を付けた、顔の見えないコスプレイヤーの
おねぃさん(もう1回言っておくけど、店員さんだけど)が、
鈴を振るような声で述べ終わるか終わらないかのタイミングで、
目の前の御簾のようなものがシャーッ!と閉ざされる。
このあたりは、“妄想プレイ”と“放置プレイ”の
ダブルプレイ(意味が違うがな…)でも言えばいいのか。」
替え玉は、食券と引き換えに与えられたプレートを
指定の場所に置くと、店内にチャルメラサウンドが
鳴り響き、おねいさんに
「まだまだ欲しいのです…」
と間接的に伝える仕組みになっている。
決して、言葉を発してはならないのだ。
こういうところもM気質をくすぐってるっぽい。
入口からここまでよどみなく流れる、
博多M気質の期待への対応っぷり。
納得の展開である。
束縛を受けながら、己が欲望の権化の到着を待つ。
空腹のわが身は、今のところ、これまでに起こった
さまざまな事象をすべからく許容しながら、
空腹を満たしたいという切なる欲望をじわじわと高めている。
と、ふと我にかえる、2つのギモン。
自分は本当にM気質なんだろうか?
仮にそうだとして、腹が減っていないときに
この一連の流れを果たして心から許容できるんだろうか?
感情が高ぶっていない場合(腹が減っていない、賢者の時間)は、
間違いなく超自我が勝つ。冷静に理性的行動できている、という
自分を信じている。
それゆえ、空腹を満たすためにラーメンを食べるという現実が
自分から遠ざかる(=賢者になる)と、
「何でそんなことするの?」
という、常識的で理論的で合理的(と少なくとも自分では思っている)な
意見になる。
狭く仕切られた場所でツレと話すことなくラーメンを食べること、
接客業であるはずの店員さんが顔を見せないこと、
テーブルに紅しょうがやこしょうやにんにくが供されるという便宜が図られていないこと。
そのすべてに疑問符がつく。
一方で、賢者的超自我がある一定の感情によってコントロールを失うと、
かなり高い確率で、その判断や疑問符を反故にする。
「まぁいいじゃないか、俺は一刻も早く美味という快楽の海に身を躍らせたいのだから…」と。
行動経済学は、このことを「性的興奮」をテーマにおいて見事に解明している。
ご自分の身近な、性的コンタクトにおけるご経験に置き換えてみれば、
ご理解はさほど難くないでしょう。
※この見事な解明の具体的な経過や数字を例としてここに挙げるには、
そのわかりやすさに由来する不具合(いわるゆシモネタ)があるため、
ここではざっくりと割愛。
福岡県民は、何かとせっかちである。飲食で言うなら、
「腹が減った、さっさと飯出せ!」
ということである。ラーメンの『細麺』、うどんの『やわ麺』はその名残だという
説が有力だが、さもありなん。
一方で、あけっぴろげ、大仰、人が良くて祭りが好き
(ってコピーのCMが大昔にあったなぁ…)という、
きわめてラテンのノリに近い気質も持つ。
総じて、欲求、欲望、感情に対して、きわめてストレート、真っ向勝負なのだ。
だから、妙な気取りを許さない。
気取った、上質のサービスを提供するお店でラグジュアリーに
美食にふけるのは、二次的な、理性的な部分がその行動をつかさどる。
そんなことより、とにかく腹が減った、早くうまい飯食わせろ!的な、
一次本能盲従的(猛獣的?)傾向があると予測できる。
かつ、ラテンの、エピキュリアン的な“最大限に楽しもう”とする
感覚がそれを追従する。
M気質論、こう考えてみてはどうだろうか。
「福岡ネイティブの賢者的超自我は、
非賢者的感情側に大きくにぶれる形で近接している」。
感情が高ぶっている(腹が減っている)と、ややもすると粗雑な、
福岡県民がM気質であると明言されるほどの扱いは
もはや『調味料的機能』を備えたものである、
とは考えられないだろうか。
そう、満腹(=賢者)になる、そのときまでは。
しかし、この問題における考察の難しいところは、
腹も減っていないのにひとりでラーメン屋やうどん屋に
ノコノコ入っていく福岡県民はさほど多くない、ということだ。
いずれこのことは、きちんと検証したい。
と思いながら、ラーメンをすすりつつ…