http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20151210-00000043-jnn-soci
先日、「そこまで言って委員会」において鳩山邦夫元法相が
ロースクール(Law School)をLow Schoolと揶揄した様に、
現行の法科大学院のあり方には様々な異論がある。
殊に一部の法科大学院生のエリート意識たるや、
(未だ法曹とはなってはいない身分にかかわらず)
以前の法曹志望者には見られなかった程の酷さだ。
彼等は、周囲からの大きな期待を込められて法科大学生となり、
年限内に司法試験に合格する事を求められる。
もっとも、真に優秀な学生にとっては
試験制度がどうなろうと実は大して関係がない。
彼等はどんな状況にも適応できる能力があり、
ちっぽけなエリート意識などはとっくに超越している。
しかし、それとは反対に思うような成果が出せない学生にとって、
かかる制度は後には引けない切羽詰まった状況に追い込まれることになる。
エリート意識が強い場合、尚更だ。
世間に対しての見栄もそれなりに強いだろうし…
一般に人生の選択というものは、必ず救済措置が設けられるべきだ。
その点、かつての旧司法試験制度は
シンプルかつフレキシブルな面で優れている。
法曹志望者にとって、これは大学の学部選択ではなく、
職業の選択である訳だから各人の置かれる状況によって
多様な受験方法を可能にするべきだ。
(現制度でも多少は可能なのだが)
その他、この事件の深層には様々な要因が内包されていると思われる。
本件を教授と学生の単なるスキャンダルで終わらせるのではなく、
即ち、過去の西山事件報道の轍を踏むことなく、
理想とはかけ離れてしまった現司法制度(殊に司法試験制度)を
改めて見直す契機にすべきではないだろうか。