愛情や感動の最上級表現が、「死」でいいのか? | Flying Dutchmanのブログ

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正確な事の次第はよく覚えてないんだけど、
以前から気になっていた事なので、書き留めよう。


この間、AKB48の石田晴香ちゃん(以下はるきゃん)の

ツイッターを見ていたら

「死ぬなんて言葉、そんなに簡単に使っちゃいけないよ。」という

確かそんな文面の、はるきゃんから1ファンへのリプ返しがあった。

どうやら、熱烈なファンから「はるきゃんが好きすぎてつらい。

死んだ方が楽。」…みたいなコメント(不正確だけど)があったので、

はるきゃんはそれに返事を返したようだった。


はるきゃんはニコ動のファンで、自ら出演もしている程の、

自他共に認めるネット好きアイドルである。

その彼女でさえ、ネット上で交わされる会話に

「死ぬほど○○」とか「○○しないと死んでしまう」とかの

表現が余りに多いことを気にしていたのではないか?

だから、敢えてこのようなリプをしたのではないだろうか?と、

私はその時勝手に思ったわけだ。
もっとも、その熱烈なファンは、自分の気持ちを必死にアイドルに

伝えようとして上のような表現を使ったのだろうし、

単なる感情表現に過ぎないと私は理解している。

ましてや、個人の表現がどうのこうのという意図は毛頭ない。

しかし、それを契機として、ツイッターなどSNSのTLに

あまりに「○○しすぎて死ぬ」などの表現が多いことに

気が付いたのは間違いない。
見知らぬ人の感情の吐露とはいえ、

かような表現に度々接することは、あまり気分の良いものではない。

また、感情の最上級の表現が「死」というのも、

如何にそれが真理に近いと考えられようと、

「それを言っちゃあ御仕舞いさ。」という事でもある。


人間は、自らの種を保存するため、「タブー」を設定した。

「死」はタブーそのものである。

なぜなら、開放してしまうと人類は相互に殺し合い

絶滅してしまうから…
だから、敢えて日常生活において「死」は忌むべきモノとして

遠くへ追いやっているわけで、
常日頃から、なんでもかんでも「死ぬぅ。」なんて言葉を

発していたら、「タブー」を設定した意味が薄れて、

この地上には、生存本能を破壊された醜いサルだけが

残されることになる。
生存本能を破壊されたサルと一応地上での存在を許されたヒトとは、

文学とか、教養、良識などを身につけるか否かという薄っぺらなカベに

隔てられているにすぎないのではないかと思う。


なんだか面倒な話になったけど、要は自分が愛するヒトには、

もっと気の利いた言葉を贈ろうよ。

少なくとも、そんな努力をしようよ。…って、

とりあえずそんな事が言いたかったのだ。

(自分の事を棚に上げて、よくもヌケヌケと…と思うよ、私自身。)