昨日からおふざけが過ぎておりますので、ちょいと真面目なお話を…
このところのニュースを見聞きしておりますと、日本人だけでなく
世界中の大人たちが自分が生きることで精一杯のように思えてなりません。
昨今の様々な事案が、自然現象ならいざ知らず、人間に関することであっても、
その人間が対処しきれないそんな時代になってきているのかな!?と思います。
それは人間の質が低下しているのかもしれませんし、それ以上にこの時代が
人間の許容範囲を超えてしまっているのかもしれません。
でもそれは人間が作り出し、人間が自らの首を絞め続けているだけであって、
自然とてすべては人間の責任とも言えるでしょう。
私なんかもその代表であるわけでして、人やモノの批判はいくらでも出来ますし、
自分がその立場になったら、たぶん批判されるような対応しかできないのかもしれません。
でも、実際にその立場に立った人間は(それが自らは望まない場合においても)
やはりしっかりとその任務を遂行し、責任ある行動で示していただきたいと思うわけであります。
そんなわけで、最近の事案について独断と偏見でちょこっと言わせていただきます。
●小学生のいじめ自殺の学校側の対応
担任教師が警察からの質問に対しては「いじめがあった」と認めました。
もうこれって校長や教頭は“偽証罪”ですよね。
でもこうして警察が介入しなければたぶん担任も事勿れ主義の校長たちの言いなりで
この件は終わっていたでしょう。
組織というものはそんなものなんでしょうね。(特に学校≪教師≫という閉鎖的社会では…)
●耳かき殺人における裁判員裁判
裁判員制度が始まって間もないわけですが、どうなんでしょう?
極刑になるかならないかの裁判に一般人の意見を入れ、でもその話し合いの中での多数決には
多数派の中にプロ(裁判官など)が入っていなければ否決されるって…
別の見方をすると、極刑有りきの裁判をプロだけが判断をすることに異論があるから一般人を入れる。
それもこの裁判員制度が生まれた理由でもありますよね。
難しいところですけど、先日知ったことなのですが、死刑執行の際、床を開くボタンは3つあり、
執行人の誰が押したボタンかがわからないようにしているとのこと。
これは何度執行役をしても精神的苦痛を伴うためらしいですね。
すごくわかる気がします。
なので、今回の“極刑もあり”という裁判員たちの苦悩もすごく理解できます。
でもこれでは“加害者のための裁判”が増えていってしまうようにも思えます。
加害者が救済され、結果被害者や被害者遺族の気持ちは置き去りにされてしまうわけです。
法というものは抜け道が必ずあります。完璧な法律なんてありえないわけです。
まだまだこの部分ではどの事案にでも適用することはいかがなものかと思います。
「尖閣諸島問題」「北方領土問題」…日本の腰ぬけ外交云々よりも、
中国・ロシアは何を言っても話しにならない国ですからね…
あの両国には××でも××しなきゃダメですね!
というわけで、誰よりも腰ぬけ七海の戯言でございました。