濡れた髪の毛にバスタオルを引っかけ、窓を開ける。室内に肌寒い風が入り込み、眠っている良太は寒さから逃げるように寝返りを打った。
恭介は時計を確認する。午前七時二十分。起きるにはまだ早いかと思いつつ、良太の眠りを妨げないように窓を閉める。
とても安らかな寝顔だ。長い睫に白い肌、恭介は良太の寝顔を見ると何だか今日も一日頑張れるような気がした。
良太は恭介が病気だと打ち明けてからというもの、「恭ちゃんが眠るまで起きてるから」といいつつ、毎回恭介よりも早く寝てしまうのだ。昨日の夜も良太は自分の家で夕食と入浴を済ませると恭介の家にきていた。
昨日のライブは良太と恭介にとって刺激的なものだった。二人は夜遅くなってもいつまでもライブの話しをしていた。
「良太君、朝だよ」
恭介が肩を揺すると良太はゆっくりと瞼を開けた。
「おはよう、恭ちゃん。僕、ライブの夢みちゃった」
と、良太は言って布団をかぶったまま、テヘと笑った。
「何だか、今日の朝はいつもと少し違うような気がする、おれ」
「うんうん、自分で言うのもおかしいけど、僕たち頑張ったよね」
恭介は首をこくりと下げた。
「でもやっぱりあの三人はすごいなぁ」
「おれたちも、すごい」
「だよねぇ、初めは何もできなかったもん」
良太は起き上がって髪をくしゃくしゃっとして、欠伸を漏らした。
「次はオリジナルみたいだけど、大丈夫かな?」
「おれたちは、おれたちなりにやればいい」
「そだね」
と、良太は言ってベットから出て背伸びをした。
「じゃあ恭ちゃん、用意してまた来るねぇ」
「気をつけて」
「気をつけるって、もう! そこからそこだし」
と、良太は言って、勝手口に向かった。
恭介の家から良太の家まで自転車で五分とかからない距離にある。恭介の家が道路の角に建っていて、クリスマスライブも行われた、城西中学校の前にあるのが良太の家になる。 恭介は窓を全開にして部屋の換気を行った。
それから少しだけ散らかった室内を片付け始めた。
いつもの交差点で凸凹バンドのメンバーたちは落ち合い校門に向かっている。
「しかしあれだな、良太より恭介のほうが緊張してなかったようにみえたぞ、おれ様」
「そうね、恭介は意外とまともだったわよ。うちで即興のデータをパソコンに取り込んで聴いてみたんだけど、恭介はぶれながらもこなしてたわよ」
椿は頬に張り付いた髪の毛をはねのけて言った。
「おれは予想通りだった。いざとなれば頼りになるだろ、なぁ良太」
隆はそう言って良太の背中を叩いた。
「うん! 恭ちゃんはそうやって、いつも僕を助けてくれるんだよ」
「良太君も頑張ってた」
恭介は照れながら言った。
「今日からオリジナルやるわよ。といっても初めから何曲も作れないと思うから、二曲に絞っていくわ」
「はい!」
「返事だけはいいよな、良太は」
「確かにな……アリエネェ」
と、松尾と隆が揶揄すると、恭介は二人の前にぬっと進み出た。
「わかったよ、悪かった」
「落ち着け」
良太はクスクスと笑った。
それから校門を抜けて二人は駐輪場に向かった。
良太はそそくさと先にいく。
生徒用玄関に続く階段を上っていると、引きつった表情の恭介が横に並んだ。
良太は何も言わず満面の笑顔で答えた。
この光景を少し離れた距離で見ている者がいた。津田美咲は階段を仲良く上る二人を立ち止まり見ていた。目を細め睨みながら。
ただより高い物はないと昔の人はよく言ったが、山中椿は両手にダンボール箱を抱えて仏頂面だった。
昼休みジュースジャンケンで隆が負けて、学食に行くのが面倒だと言ったので椿は、「おごってくれるのなら、あたしが変わってあげるわ」
と言って、学食に向かっていたのだが数学教師に、職員室に担任の村山先生の下へ書類を届けてほしいと言われて、断り切れずに今に至る。
椿は職員室の扉を開けた。すぐに村山は見つかった。椿を見て首を傾げた。
そして椿が近づいていくと慌てて席を立ち、椿が持っていた、ダンボール箱を村山が抱え直した。
「悪いな、山中、貴重な昼休みに」
と、言って箱を机の横に置いて座る。
「いえ、それでは失礼します」と、言って立ち去ろうとすると、村山の机の上に置いてあった資料が目に入る。
「ああ、これか、今年の豊漁祭は規模が大きくてな、なんと言ったか……演歌歌手の鳥羽八郎も来るだとか、うちのブラスバンド部も鼓笛隊に参加するらしくてな、そうそうカラオケ大会もあるって言ったな」
「そうですか……」
椿はさして興味がなさそうである。早々に会話を切り上げて学食に行きたいのだ。
「ともかく助かった、ありがとうな山中」
と村山が言って椿は踵を返しかけたが、ふと考えて立ち止まる。
「あのカラオケ大会って言いましたよね、それってバンドは参加できますか?」
椿がそう言うと村山はプログラムを確認している。
「特にこれには書いてないな、そうか!」
村山は合点がいったという顔つきになって、
「先生が問い合わせて、交渉してみるとしよう」
「いいんですか?」
「あまり期待されても困るが、やるだけやってみよう」
と、村山は言った。
「ありがとうございます」
そうして椿は職員室を出て学食でジュースを買って、教室に戻ると、
「おせぇよ!」
「仕方ないじゃない、寄り道してたんだから!」
「何だよ寄り道って」
椿は無視をしてジュースを配る。
「いただきます」
「無視かよ」
椿は隆を睨む。
「別に悪いことじゃないわよ、むしろ朗報よ、正式に決まってからみんなに話すわ」
そう言って椿の遅い昼食が始まった。
良太と恭介は顔を見合わせている。
「それより、次からあたし、ジュースジャンケンには参加しない」
椿は重い書類を持たされたことにご立腹のようだった。
授業が終わり鞄を持って少し歩いてから振り返る。
すると恭介は良太の隣に並んだ。
「バンドの練習に、い、いこう」
「うん」
二人は歩き出す。津田美咲は数人の女子とともに良太を見ていた。
恭介は被害妄想的にそれを受け止めオドオドとしているが、良太はまったくもって気付いていない。
「恭介バンドいくぞぉ」
と、松尾がF組の扉を開けて言った。
「松尾君……」
恭介は一瞬視線が集まったことで顔を真っ赤にさせた。
「やぁF組のみなさん」
と、松尾が軽口を叩いていると、恭介は松尾の前にぬっと進み出た。
「わかったわかった、それより行くぞ」
「あれ? 隆君は?」
「よ! 凸凹コンビ」
良太と恭介が扉を開けると隆がいて、椿は壁に背をつけて待っていた。
「山中さんまでいる、どうしたのみんな?」
椿は顔を上げて二人を視界に収めると、言った。
「それくらいのこともわからないの? フルハウスミニライブで凸凹コンビの格が上がったのよ。空気読みなさい」
「じゃあ今まではやっぱり下っ端だったんですね。でも――僕、すごく嬉しい。こうしてみんながきてくれるなんて」
と良太は涙ぐんで恭介のほうを見た。
恭介は深く頷く。
「じゃ、いくぞ、いつまでもたらたら話してないで」
そうして隆を先頭に歩き出した。
中央にある階段から二階へ降りる。職員室の前の廊下を通っていると、扉が開いて、
「ちょうどよかった、山中」
担任の村山が中から出てきて言った。
「はい?」
「今、先生、豊漁際のカラオケ大会の件で役場の人に確認したんだが、機材とか用意してくれるなら許可を出すと言っていた。でな、岩城先生、失礼、元先生に機材を借りられないか電話かけたら、二つ返事だった」
「本当ですか!」
「ああ、間違いない」
岩城とはフルハウスのマスターである。
「後でお礼を言っておくように」
「はい! 先生も、ありがとうございました」
椿は頭を下げた。
「おいおいおいおい! そういうことかよ! みなぎってきたぜ!」
松尾が大声でまくしたてる。
「豊漁祭か、でも、時間間に合うか? 二週間ないだろ」
「二週間あれば充分よ。それにしぬきでやればいいし」
「恭ちゃん大丈夫かなぁ、ぼくたち、足引っ張らないかなぁ」
「大丈夫」
「根拠は?」
「ない、でも、あえて言うなら、おれたち凸凹コンビ」
「恭介、言っておくが、地方のテレビ局だけじゃないからな……」
恭介は恨めしそうに松尾を見つめた。
「そうと決まれば、急ぎましょう、こうしてる時間がおしいわ」
椿は村山に向かってもう一度頭を下げる。
「先生、応援してるぞ」
「がんばります」
そうして凸凹バンドのメンバーと松尾は急いでフルハウスへと向かった。
真紀は猛烈にだだをこねていた。これでは本当に隆の言う大きな子供である。
「みんなと一緒がいい。昨日だって真紀だけ遅れて――」
「仕方ないでしょう、映像はごまかせないわよ。テレビ局が入るっていうし」
「じゃあ、SAYAとして映る」
椿が真紀の瞳を覗き込む。
「……」
「と・に・か・くだ。おまえはおとなしくしてろ。な」
真紀はシュンとして何も言えなくなった。
「どのみち、凸凹コンビに作曲はできないから、あたしたち三人で曲の方を作るから、昨日の即興のメロディで、隆の悟りで……詞の方は一人一つ各自持ち寄って、メロディに当てていく、いい?」
「隆の悟り」
「隆君の悟り」
「さ、さとり……」
隆が眉を寄せて男性陣を睨む。
「おまえらなぁしつこいぞ。呪いの歌作るぞこの野郎」
「隆君が言うと怖いよぉ」
良太は怯える。
「大丈夫だから良太君」
「でもなぁ、呪いじゃねぇけど、予知はあるかもな」
松尾は意味深な顔をして言った。
良太は青ざめる。
「ほ、ほんとですか!」
「さぁどっちだろうなぁ」
隆もニヒルに笑いながら言った。
「良太おまえさ、恭介と一緒に寝てるだろ」
良太は驚いて目を大きく開ける。
「で、二人であぁいうことや、そういうことをしてるんだろ?」
「ああいうこと?」
「だから、そう言うことだよ」
「隆はなおまえらに、ホ――」
椿は手元にあった音楽雑誌で松尾の頭を叩く。
「バカ言ってないの」
「でも、どうして僕と恭ちゃんが一緒に寝てるって知ってるの?」
「そりゃな、松尾に聞いたからな」
と、隆は言って笑って、
「恭介の病気のためだろ」
と、続けた。
隆たちが盛り上がっているとスタジオの扉が開いて、老人バンドの三人が現れた。
「こんにちわ!」
皆、元気よく挨拶をする。
椿がマスターの下まで歩みよって、
「マスター、豊漁祭の件、ありがとうございました」
「私一人じゃセッティングしたりするのは、無理だからね。お礼を言うのなら二人にも」 と、マスターは言って振り返る。
「源さんありがとう。ほら、みんな」
メンバーは声を揃えて、
「ありがとうございます」
「まぁその、あれじゃあ、わしらもどうせ豊漁祭には行くけんのぅ」
と、源二が言うと、
「また、源さん素直じゃないんやけん」
ユキエが源二の肩を撫でるように叩いて、言った。
「真紀! やるど!」
源二は真紀の下へ足早に向かった。
「はい!」
そうして個人練習が始まった。
椿は音楽理論を理解しているが、隆や真紀に至っては椿ほどに知らない。
これは大衆音楽のプロでも当てはまることで、音楽理論を全く知らないまま解散していくバンドも珍しくはない。
老人バンドの個人練習が終わり、いつもなら練習は終わる時間なのだが、今日はそうはいかず、メンバーたちの疲労の濃い顔が時間の長さを物語っていた。
まずリーダーである椿がキーを決める。次に隆が歌い出す。そして次々に各パートの音が流れ出す。真紀はキーボードをひいている。
椿は室内の中央にある大きな時計を見て、手を二回叩いた。
「集合」
と大きな声で言うとメンバーは演奏を中断して集まる。
「もう時間も時間だし、良太と恭介は家が遠いから、帰っていいわ」
「でも、僕たちまだやれます」
「家の人が心配するでしょ」
「凸凹コンビあまり気負うな、こういうのはな、何度も何度も何度も繰り返すんだ。嫌というほど、ああもう吐きそうだってくらいな」
隆がそう言うと、良太は安心したような顔つきになる。自分たちが足を引っ張っていると自覚しているのだ。
「楽器がうまいから、必ずしも良い曲になるとは限らないのよ。凸凹コンビは、今はどんな好きな曲でもいい、それを模倣すること。あたしは色々なバンドを見てきたわけだけど、みんなそうして上達するの、あまり肩に力を入れすぎないように」
「じゃあおつかれな」
と、松尾が手を挙げて出て行く。
「じゃあ僕たちも帰ろうか恭ちゃん。おつかれ、また明日」
恭介は良太を支えるように背を押して、出て行きかけたが、振り返る。
「みんなおつかれ」
俯きながらもはっきりとそう答えた。
「気をつけてね」
「さようならぁ」
スタジオは一瞬静まり帰る。
「隆――隆――」
「何だ? 今おれ頭が違うところいってたわ」
「違うところって、どこか楽しいところ?」
「真紀、おまえの頭の中はいつも花が咲いてるんだろ。黄泉に逝ってた」
「黄泉って……隆君幽霊じゃないんだから」
「隆はね、詞とか曲とか浮かぶとき、ふざけてそう言うのよ」
真紀はあきれている。
「まぁ昨日の歌あるだろ、それの全体の構想と詩、題名が浮かんだ。この曲の題名の意味は深い。東洋音楽が西洋音楽に持つ劣等感的意味合いもある。マスターの経済力を借りないと表現は無理だなぁ」
と、隆は言って口を開けて間抜けに笑った。
「聞かせて!」
そうして隆が曲の構想を語り終わると、椿と真紀はまるで、偶然拾った宝くじが一等だったような顔をして隆を見上げた。
「すごい! すごすぎる」
「どうすれば隆君みたいになれる? 真紀にも教えて!」
「じつは瀬会い海岸に真紀の運転でいっただろ、あのときかな、じわじわときてたんだよなぁ、で、ミニライブで涼子を見て興奮して、さっき繋がった」
隆は「アリエネェ」と言って頭をばんばんと叩いてる。
「でも、規模を考えないと、大変なことになるわね」
「凸凹バンドでセッションしてるときから、隆君変だったし……そういうことだったんだ――」
「って、ジャム・セッション形式の作曲じゃあ駄目だわ。まずは楽器を決めないと」
「単純なものなら、松尾にさせる。あいつには恨みがたまってるからなぁ」
隆は、にやりと笑った。
「でも、二曲あるでしょう椿ちゃん」
「そうよね。でもこれで、メインの曲は出来たわけだし」
「二曲、重い曲だと、観客もつまらないでしょう」
「わかったわよ。二曲目はみんなで作りましょう。原点に一度返ってみて、曲の善し悪しは方法論にすぎないと思っていた時代に――」
「ねぇ、真紀……お腹すいたぁ」
真紀は腹部をさすり首を傾け椿にしなだれかかり、言った。